コメント: 川は流れる

古川・・・江戸時代の浮世絵で白金あたりの綺麗な古川を見ることができます。また地名は漢字に惑わされることもありますよ。「材木町」はわかりませんが「狸穴」はタヌキの穴ではなくて「馬見山」が化けたらしいです。「久我山」は高貴な方の住む「公家山」だったりする。「恵比寿」がビールなのは有名だけど「松涛」はお茶ですって。麻布近辺の地形はたしかに川で形成されてますね。渋谷の地形は昔の川がとてもよくわかります。

投稿者 パワスポ探検隊長 : 2006年01月06日 22:29

りりこさん、こんばんは。
一般的に外苑西通りのような谷道は比較的新しく整備された道です。天現寺で古川に合流する川は笄川(こうがいかわ)と呼ばれ、青山三丁目の梅窓院付近が水源の一つ、根津美術館にも水源があります。西麻布交差点から根津美術館方面に行く道は途中まで一方通行になっていますが、その一方通行部分の道が江戸時代からある道で、対面通行になってから右に行くと立山墓地の下に庚申塚があります。対面通行部分から根津美術館の敷地内へと繋がる沢には水が流れ池や川になっていたようです。その対面通行部分から西麻布に抜ける一方通行の道が昔の笄川です。西麻布交差点からは、現在の外苑西通りの一本裏道が笄川で順心女子の裏道から広尾、天現寺へと流れていたようです。因みに外苑西通りの日赤病院下から天現寺までは明治初期の地図には畦道ていどの道しか描かれていません。たぶんその辺りは渋谷区と港区(麻布区)の区境が川筋の跡でしょう。笄川も笄町(現・西麻布3丁目と4丁目)も材木町(竜土町と一緒になって六本木7丁目)も地図から消えてしまい、笄小学校にその名が残っているくらいです。
http://www2.rosenet.ne.jp/~kogai-e/shokai/gaiyo_yurai.html
昭和16年の赤坂区詳細図では既に笄川は暗渠とされていたようです。江戸期の古川の様子は歌川広重の 名所江戸百景に描かれています。
http://homepage3.nifty.com/morikawa_works/hiroshige151.html
因みに巷で話題?の「東京の凸凹地図」には笄川の事には触れられていません。残念。

投稿者 iGa : 2006年01月07日 01:49

やっぱり川があったのですね。
きょう西麻布に行ったので笄坂という碑があったはずと思って探したのですがみつかりませんでした。
霞町の交差点から高樹町に行くのが笄坂、
材木町に向かうのが霞坂です。
ついでに根津美術館方向に青柳というお菓子屋さん(学校帰りに何度か立ち寄りました)あたりを
少々うろついてきました。

パワスポ探検隊長とiGaさんのおかげでぐぐっと深くなりました。
古い地図を探したくなる・・・港区の図書館に一杯並んでいたのを憶えているけど
今は杉並在住のわたくしです。

投稿者 りりこ : 2006年01月07日 21:13

雪騒動でバタバタしていました。
東京を離れてからずいぶんと年月がたちますが、根津美術館の周辺で働いていたので、懐かしいです。
暗渠になっている川が増えて、日常に川の存在を意識しなくなっていますからね。去年の杉並区の水害には驚きました。
昔だったら、もっと東京湾に近い下町のほうで浸水とかあったような。

投稿者 こーこ : 2006年01月08日 02:48
コメントする









投稿にはお名前(ニックネーム可)とメールアドレスが必要です。 メールアドレスは管理人にしか通知されません。

名前、アドレスを登録しますか?