船場吉兆しかり、高校球児やアマゴルファーしかり。
最近「ひそひそ」やら「ハンカチ」やら「ハニカミ」やら、
あまりに決まり文句で芸がなさ過ぎやしませんか。
一定の方向の色眼鏡で見ることを「レッテルを貼る」なんていう。
ラベルで分類するということだ。
本人や周囲の決意や努力と関係ないところで
一定のバイヤスのかかったイメージが一人歩きする。
最近は名前すら呼ばずにまるでその人そのものであるかのように繰り返されるのは
わたしのような部外者が見ても不快なものだ。
簡単なのだ。予定調和の中で物を言うのは。
物を書いたり発言したりする立場の人間がこのザマではあまりにみっともないとは思わないか。
あげあしとって笑う最近の「オワライ」もまた
下品に感じられてならない。
きのうは家族で久しぶりに外食をした。
イタリア料理の店なのだが、店主はご近所さんでもあり、
お嬢さんはムスメの先輩で、姪御さんはムスメの仲良し。
たまに外食すると、いつもの店であっても刺激を受けて楽しい。
大根の赤ワインシロップ付けがデザートの付け合せに。
この日は昼間、お茶菓子に「これ材料当てたらほめてあげる」というのがあって、
こちらは干瓢だった。
当たったのはわたしだけだった。食いしん坊の勝利。
栃木の高林堂というところの友志良賀という菓子だそうだ。
写真は、我が家のベランダで作成中の柚餅子。
立春の頃に仕上がる予定。
テレビの上の小さなお鏡は、直径6センチくらい。
隣は会津の起き上がりこぼし。
同じ建物の知人のお嬢さんが鏡餅を作って届けてくれた。
せっかくだからなんとなく清浄な感じに飾ってみたくて何の飾りもなくシンプルに。
神様への礼にかなっていたとはいえないけれど、
サブ鏡餅なので許してね。
今年の松飾りは吉祥寺まで行って、森崎偏陸氏のお飾りを手に入れた。
気に入ったのは松の緑とあわせて五色になるリボン。
五行の色は、五行思想の木・火・土・金・水につながるもので、
「聖なるもの」と結びつくことが多い。
寺社でもこの色を見かけるし、
ひな祭りや端午の節句、七夕や七五三などの節句行事の飾りにもよく見かける。
色としてはごくありふれた色で、使われているのも細巾のリボンだけれど
わたしはこんな風に使おうと思ったことがなかった。
そのことが新鮮だったのだ。
翼のような羽(きのうのエントリーの写真に写っている)は棕櫚の葉のようなもの。
全体のシルエットになんだかとても力を感じたのでこれにした。
実は、松が取れたのにまだ片付けていない。
もうちょっと、もうちょっとと引き伸ばしている。
神様、ごめんなさい。
でも、スキなの。
あいかわらずの不精で、今年も年賀状を出し損ねた。
掃除もかなりいい加減。
ちょっとはお正月気分がほしくて、
部屋のあちこちに小さくお正月っぽさを分散してある。
料理だけは気合を入れたけれど、
去年の積み残しがいっぱいある新年になった。
早朝、恐ろしい夢を見て目覚め、毛布を引っ張り上げていろいろ試みたが眠れず、
仕方なく6時過ぎに起きだして夜明けの早まったのを知った。
恐ろしい年の明けではある。
今年の目標の一つは早寝。
わたしはたくさん眠るのが苦手で、早起きなくせにダラダラと夜の豊穣をむさぼる。
豊穣と感じているのはおそらく自分だけで、懶惰なひと時と言ったほうが正しいのだろう。
この際自分の脳を信頼して、眠りに任せたほうがいいのではないかと感じている次第。
新しい自分の夜明けだ。
わたしの新しい半世紀のための小さい決意だ。