生活の中に楽しさはある。
生活の中に美しさはある。
外に追い求めるのではなく、自らの中に求めたいとずっと思っていた。
与えられる人ではなく、作り出し、見つけ出し、自ら楽しめる人でありたいと思ってきた。
人とは価値観が違ってもかまわない。
そう思い続けていたはずだったが
いつの間にか人の価値観に引きずられていたのではないか。
もちろん、社会生活を送るからには、社会の価値観と無縁ではいられない。
それはそれでいいけれど、主体は自分でなければいけない。
美しいものをこそ志向したい。
美しさの中には善があると思う。
グロテスクの中にも、捉え方、置き所によって美しさはあるだろう。
美は退屈させない。
美は疾走する。
不変ではなく、常に形を変えてほとばしる。
まったく、お金がなくなるとゆとりがなくなるせいか、
「お得」を求めるということになりやすい。
つけいるスキができるわけだ。
儲かりますよというはなしだけではなく、いろんなお得がある。
金銭的に貧しくて貪欲になるのはある程度仕方がないのかもしれないが、
貧乏貴族ではいられないのか。
「供応の見返り」として手心が求められることはやはり多いだろう。
最近は貧乏人に限らないところが恐ろしい。
むしろ、権力を持ち、貧していない人のほうが貪欲になっているようだ。
まずは人と比べないことだ。
大画面のテレビを買ってケーブルテレビを入れても、見る時間がなければ意味がない。
HDDレコーダーで番組を録画しても、見返すことがないなら意味がない。
ブランド物のバッグを買っても、持ち歩く機会がないなら意味がない。
大きなオーブンを手に入れたところで料理が好きじゃないなら意味がない。
世の中そんなことばかりな気がする。
「本当の自分」を素直に見てみれば、お金のかけどころ、使いどころは違ってくるだろう。
必要なものを必要なだけ。
それ以上は必要ない。
ふさぎの虫が騒いだのは1月の終わりくらいからで
歩かない、人と会わない、趣味は読書とネットサーフィンという日々を続けていたら
やっぱり案の定体重が病的に増えてしまった。
短期間に増えたのは減るよ、などという人もいるけれど
病的に増えたものはなかなか減らない。
厳しい夏を乗り越えて、秋になり、歩き始めた。
筋肉が落ちたので、ちょっとずつリハビリみたいなものだ。
(筋肉落ちるほどこもるなよ!)
手始めにやったことは万歩計を買うこと。
最近の万歩計は、バッグに放り込んでおけばいいんですね!進化だ・・・
体の変化の激しさに比べると、顔の変化はかなり緩やか。
あご周りがだるいかんじだけれど、パーツが埋まるほどではない。
こういうときに年齢を感じるのよね。
blogも長くなってくると、こういう自分の中でおきたことを書いている場合
なんだか同じ繰言を繰り返すことが多くなり
どどっとやってきたのが自己嫌悪。
blogって、整理がしやすいから
古いを見返すこともできるわけで、イヤあねぇと思うことも多い。
ほんと、イヤあねぇ。
いろいろ生活も変化があって、それでも同じ家で同じ家族で無事平穏でいることはすばらしい。
ほかのメディアを使ってみたかったこともあって夏じゅう留守にしたけれど、
やっぱりここに戻ってくるのは不思議。
そんな10月。
またも散らかりつつある頭と家の中を片付けよう。
結局ダイエットと本当によく似ている。
リバウンドしては決意する。
フシギねぇ。