去年の秋ごろからいろいろと自分にとってむずかしいことが重なり、
実生活で礼を失したり義理を欠いたり、義務を怠ったりいろいろあって
それもまた自分を責める原因となり
なんだかぱっとしない状態だった。
元気はあるような、でも片側がボロボロで。
とにかく、先送りはやめて、昨年秋からのいろいろを終わらせないと。
人にもいろいろ迷惑をかけている。
これさえ終わらせることができないようでは
大元が断ち切れないのではないか。
今月末にかけて、リセット週間とする。
ひとつずつ、終わらせる予定。
携帯電話のマナーは、若い人のほうがずっといいと思う。
マナーモードにしてちらっと着信を確認するとか
メールですませるとか。
バスや電車の中や公共機関やらでながながしゃべっているのは中高年が多い。
特に、若い人のマナーに厳しそうな高年層。
なんでじーさんバスん中で延々しゃべるかなぁ、と思っていたのだが
ふっと、電話の持つ意味について考えた。
黒電話が家庭に普及しはじめて、たかだか40年くらいではなかったか。
電話はどうしても必要なときに借りたり、公衆電話をさがしたりして使うものだった。
電話は、「大切な話」を伝えるためのものだったのだ。
だから、居留守番電話にはなんとなく罪悪感が伴う。
出たからには愛想よく会話しなくてはならない、
そういうことなのだと思ったのだ。
「今どこ?」
「バスん中。折り返す」
で終わる若い人の会話、
「ああ、先日はありがとうございました」と普通に話し始めてしまうおじいさん。
携帯電話のマナーについては、ごく普通に使い慣れているひとの方が進んでいる。
こと携帯に関しては「礼儀」が電話のマナーとは変わっているのだ。
顔の見えない電話だからこそどんなときもていねいに、というのは
携帯電話モードとしては間違っている。
居留守番電話に罪悪感を感じない世代がメインユーザーなのだと思う。
のべつまくなし読書。
最近はすぐ酔うから電車やバスでは読めないけど。
山本七平を読もう。
あと、最近注目しているのは春日大社の宮司さん。
最近、文学は読んでいない。のめりこむ余裕なし。
といいつつ、3冊くらい並行して読んでいる中で唯一のフィクションは
「ミラードリームス」@ファンタジー。
ハリー・ポッター以来子供向けのファンタジーが厚くなって持ち歩くのが大変。
いろんなことがあるのだが、
日々に追われてエントリーできない。
テクノストレスぅ。
毎日宿題を抱え込んで調べ物をする日々。
まあ、頭の回転の鈍るトシゴロなのだが。
床の掃除もろくにしないで
へたり込むように眠る毎日だ。
学校が始まり、日常が動いている。
だんだんにペースを取り戻すだろう。
多忙というより空回り気味かも。