わたしもそろそろ夏季休業終了。
今年の夏はバテたというより機嫌が悪くて機嫌が悪くて。
そう悪い日々でもなかったはずなのだが。
虎ノ門の大倉集古館でやっている「スザニ」とフェルトの展覧会が意外によかった。
もっと質素にシンプルに地道にピュアに生きていきたい、と
なぜかそんなことを考えていた。
トルクメニスタンの貴金属装飾も出ていて、これもよかった。
シルクロードのものと出会うとき、
シンプルになりたいと思うことが多いのはナゼだろう。
9月末まで。
9月はニューオータニ美術館でルーシー・リーの展覧会がある。
コレも楽しみだ。
11月に阿佐ヶ谷で、ネオダダの時代の作家たちが4人展をやる。
ひさびさに田中信太郎の作品を見るのが楽しみ。
いくつになっても過激な人たちだ。
この夏は、都会で過ごした。
秋には八ヶ岳高原や、チャンスがあれば丹波篠山まででかけたい。
10年ぶりに連絡を取った人が、丹波篠山に引っ越していた。
強烈に会いたい気持ちでいる。
わたしにしては珍しいことだ。
秋には新しいことが始まり、ひとつ枷が外れる予定。
何事もうまく進みますように。
「うまく」で変換すると「旨く」になるわがIME。
くいしんぼうですか?
さて、そろそろ子供の夏休みも終わる。
日常よ!やってこい!
台風がやってくるのに気づくのは、
ムスメが咳をし始めて2、3日経ってから。
きっかけは部屋の掃除だったり、軽い風邪だったり、照明掃除だったり
埃の出る作業のことが多い。
夜じゅう断続的に続く咳の日々の後、ああ、そういえばというように、台風が近いのに気づく。
今回もそんな具合。
そろそろ薬も無いので、きょうはひとりで診療に行かせる。
不安は、医者まで20分の道のり。
自転車でいけばすぐなのだが、多分あそこまで咳き込まずに自転車で行けない。
徒歩で行っても、おそらく途中で数回休みだろう。
たいしたこともない起伏だが、喘息が出ているとかなりきついはず。
ちびっこ、頑張れ。
しばらく留守にしている間に秋の気配。
空は晴れ渡り、風が強くなり、空気が軽くなる。
されど・・・毎日30度を超える日々。
水撒きを推奨します。
マンション住まいであっても、ベランダに水撒き。
多少気温が下がる。
今年もまた夏が来て、大戦の特集が組まれる。
世界で核の問題が起きるたびに、
ヒロシマ、ナガサキのことが思い起こされる。
スミソニアンの退役軍人問題や
「戦争を終わらせるために原爆は必要だった」という発言は
心に突き刺さる。
東京大空襲のことだってそうだ。
なんにもわかってない、と思う。
空の上から地獄が見えるか、と思う。
振り返って、わが日本が、あの戦争の状況ではしかたなかった、
元帰還兵が、「上官の命令にさからうことはできなかった」
そう言うのは、同じことではないか。
踏みにじられた者は忘れない。
そこへの理解と哀悼と謝罪なくしては、前には一歩も進まないだろうと思う。
だから一歩も進まないし、握手はするけれど心は開かないのだと思う。
そして、それが解決したら、尖閣諸島や北方領土も解決するのかもしれない。
ホテルの中を歩いていると、凝ったじゅうたんが目に付く。
写真は先日のオーキッドルームのじゅうたん。
ほんの一部なのでわかりにくいけど、どことなくアールデコっぽい。
古いホテルはフロアごとに改装に改装を重ねているから、
部分的に異なる意匠が面白い。
宴会場もそれぞれ違っていて、名前にちなんでいることが多い。
オリジナルかな。
ホテルオークラ/オーキッドルームのセッティング。
ナナメから撮ったメモなので変な写真だけど。
このレストランは、隣接するロビーと同じ仕様があちこちにある。
天井の高さ、つくり、窓際の麻の葉模様の細工障子、
天井からさがるランタン。
わりと最近まで、オーキッドルームの名に沿って、
プレートやポット、カップ類は蘭の柄だったように思う。
今日見たら、金彩の麻の葉模様が美しい。
とても気に入った。
麻の葉模様は着物の柄としては赤ちゃんの産着に使われるほどで
日本人にはあたり前の柄だ。
魔よけの意味もあるらしい。
一方で、どことなくアラベスクやダビデの星を思わせる6角のモチーフ。
このホテルでは、ケーキのテイクアウトの箱にも麻の葉模様が描かれている。
わたしが一番最初に日本のモチーフで好きだと感じたのが麻の葉。
そこここで見つける麻の葉がちょっとうれしい。
ムスメがひょひょいと寄ってきて
「おかあさん、どんなかな~♪」
肩のあたりを揉まれて、あまりにこっているのに気づいた。
あたり前になってしまって気づかなかったが
肩、腕、背中、首筋とガチガチだ。
肩こりくらいは気づいていたのだが。
ストレッチしなくちゃ。
こういうときは、まともなストレッチすらできない。
すごい反動が来てしまう。
もう少し、自分の体を構ってやらなくちゃ。
aki's STOCKTAKINGさんの記事が気になったのは、
わたしのちょっと年上の人たちが影響をうけたという
Whole Earth Catalogueの写真のせいだった。
そのエントリがジョブズにつながっていたとは。
わたしが一番最初に買ったパソコンはMacPlusで、
当時5000円のスカートを買うのに迷うようなわたしが緊張と期待を持って買ったモノだ。
作った人の作ったものへの愛着がとことん感じられるプロダクトで、
あれがあったからこそわたしは今もパソコンを使っている。
このエントリでたどり着いたジョブズのスピーチがとてもいい。
ぜひ読んで欲しい。
最近、自分の人生に起きたことは
ずれながら、ねじれながらひとつひとつつながっていると感じることが多い。
あの時があったから今のわたしがいる。
あの時のいやな思いが今回を乗り切る力をくれる。
あの頃に知り合った人が、今またつながる。
そんなこんなはわたしが年を重ねたからこそ思うことだろう。
人生には、いいことしか起こらない。
無駄なことなどないのだと人は言うけれど、
それが真実だとわたしも思う。
日々のつらさは学びであり、正面から向き合うことも、
回避する道を探すことも同じく学びなのだ。
家の南面に細い川。
そのずっと先に、高速道路がある。
窓から見ると対岸の家の屋根や木々と高さが同じくらいなので、
昼間はあまり気づかない。
夕暮れ時になると高速脇のビル看板に照明が入り、ぐっと都会っぽい印象になる。
そして、夜になれば高速沿いに、オレンジ色の照明灯が付く。
ポツ、ポツ、ポツ、と規則正しく並ぶそれらは、
遠いところへ通じているんだと思わせる。
時々は、事故でもあったのか、オレンジ色の点滅のランプが点いたりもしている。
わたしは、高速道路がいろいろ交差するあたりで育った。
上と下とを高速道路が通る不思議なアクリル張りの歩道、信号がないのでつっきる高速下。
思春期の思い出には、高速道路がよく出てくる。
高速下の長い横断歩道を渡った先の図書館、
高速道路の下の水の流れる公園。
そんなことを考えていたら、高速道路のランプのオレンジと同じ色をした光が中空に現れ、
右下がりのZを描いていきなり消えた。
あれはなに?