時代なのだろうか、身の回りで心の壊れる人が多いのだ。
わたしは追い詰められたとしても、先送りしてゆっくり歩いて、
そのうちなんとか解決してしまうので、
結局本格的に壊れたことが一度も無い。
まず、そのことに感謝。
住むところ、食べるものに追われることなく、
徹底的に人に追い詰められるということも無く。
そこそこ息の抜ける程度の日々であることに感謝。
絶望することのない日々は、それだけでも感謝に値すると思う。
戦場に暮らしたことが無いことだって、単なる偶然にすぎないのだから。
最近は、ありがとう、と思うことが多い。
ラッキーだ、と思うことが多い。
思いやりのない失敗をたくさんしているのに、許してくれる人たちよ、ありがとう。
美しいものに心動かす余裕のあることを、ありがたく思います。
最近偶然がやたらいっぱい起きる。
スピリチュアルの人に以前の大きな偶然を話したら、
そんなことはやたら起きるのがあたり前なのだと言った。
以前に比べ、明らかに頻度が増している。
おかしな具合だ。
外でしている2つの仕事は、
ひとつはわたしの人脈から、ひとつはダンナの人脈からつながった。
ダンナとわたしは全く違う業界の人で、
同じ大きな複合施設で働いていたときにたまたま出会ったのだ。
わたしはダンナの周辺の、今まであったこともないタイプの人たちに
随分と驚いたり感心したり心をかき乱されたりしながら
一緒に暮らし始めて14年になる。
この2つの線が、妙に交点を持つようになってきた。
最初の点がわたしだとしたら、そこから線はねじれ続けている。
人的なことだけでなく、空間的なことも、時間的なことも
からみあってねじれているようだ。
まだまだ不思議なことがおきそう。
このところ、とてもとても忙しくて
時間を乗りこなすのがやっとやっとだった。
春先にはちょっとおかしくなって、
自分がどうしたらいいのかわからないと思い込み
なんだか考えると涙が出るので考えないと決め
考えないからますます乗りこなせなくなって
こんなはずじゃなかったのにと思っていた。
思い込みは思い込みでしかなかったことがふとわかり
わたしは以前と同じような忙しさをふわりとかわすようにして
なんとか前に進んでいる。
忙しすぎると、考えをまとめることができない。
断片だけだとわけがわからないだろうと
ここも放置してきたけれど
断片でもいいから書いていこうかと思っている。
それがわたしの心の状態が改善した足跡でもあるのかもしれない。
というわけで、春先より元気です。
どうしようもない状態ではなく、折り合いをつけている。
人とも、やるべきこととも、やりたいこととも。
ただ、多忙。そんな日々。
生活をシンプルにしようとしてきた。
持ち物は減らす、風通しをよくする、
美意識をできるだけ持つ。
とりあえずモノから入ったシンプル志向だったけれど
本来は、生き方自体がシンプルにならなくてはならない。
目的意識を持って、単純化すること
拡散しないこと。
何に向けても興味津々の人生を送ってきたわたしにとっては
それはかなり難しいことで
でも、一度は向き合わなくてはならないことなのだろう。