子供の成長は驚くばかり。
何を言いたいのかもどかしく、くっついてばかりだった日々。
「いっくら泣いてもいいんだけど、残念ながらわかってあげられない。
もしも育ってまだ今日のことを覚えているなら、
いったい何がイヤだったのかいつか教えてね」と言ったお手上げだったあの日。
それが、4月から中学生になる。
どうやらはじまったぞ、青春。
「わからない」
「しらない」
「忘れた」
「言いたくない」
「あとじゃダメ?」
こんな日々。
その成長が、わたしはうれしい。
目は離してあげないけど、もう離れていいよ。
やっと気づいたのだけれど、三笠山(どら焼き)は文明堂だったのね。
子供のころ、宴会帰りの父親が、箱にぎっしりと入った三笠山を持ち帰ることがあった。
宴会の引き出物だったのだろう。
あんまりあんこの好きではないわたしは、皮だけはがしてよく怒られた。
宴会は三笠会館。だから、三笠会館で出している三笠山なのだと信じていた。
でも、どうやら同じ銀座の文明堂だったらしい。
我が家では、だから、どら焼きとは呼ばなかった。
でも、あれは三笠山という名前のどら焼きだったのだ。
こんなことに、何十年も経ってから気づくのもおかしなものだ。
できることなら、物とは最後まで付き合いたい。
手に入れた布は、最後ぼろぼろになるまで使いたい。
そんなことを考えているうちに、日本は豊かだと実感する。
流行り廃りは、廃棄があるからなりたつことだ。
一番長く、付き合っている「モノ」は何ですか。
わたしには、小学校のころからまだ使っている定規があるけれど
母が使っていた鍋を独立するときにもらってきたのが一番古いかも。
世の中にはスーパー、デパートあんなに鍋を売っているけれど、
母からもらった鍋で、わたしはちっとも困らない。
ものが多すぎると思っているのに、欲しいものはもっとある。
そんな自分に困惑する。
日常を、映像で切り取り続ける。
再構成して新しい時間を生み出す。
映像作家という人種は、言ってみれば人生が作品の素材なのだ。
毎月のイベント、今月版のご紹介。
チラシはクリックすると読めると思うので、ぜひどうぞ。
映像アートサロン煌翔
2007年2月24日 19:00~
場所:阿佐ヶ谷 スペース煌翔
会費:1000円(茶菓代 酒肴ではないかという説もあり)
夜、ほとんど、夢を見ない。
見ているかもしれないが、覚えていない。
もう長いこと、夢を見ない。
空も飛ばない。山も登らない。天を仰がない。
疲れて昼間眠るとき、必ず夢を見る。
不条理な、不思議な夢を見る。
体は疲れているのだが、わたしは夢を見るのがすき。
思ってもいなかった人に会えることが多いから。
このあいだ、いつもは使わない駅の、行ったことのない反対側へはいりこみ
まっすぐじゃない道をうにゃうにゃ歩いているうちに、
自分はどこにいるのかわからなくなってしまった。
大きな古い桜並木があり、眺めながら歩いていたら住宅街。
点在するオシャレな家や由緒ありそうな家、
昭和のモダン建築風とながめながら歩いていた。
ふと気づくと、正面に大きな建物があって回り込む。
あれ、どっち向いているんだろう。
駅のこっち側だということしかわからない。
いつもは乗らない電車だから、うにゃりと曲がっていたら?
多分家から離れていてもせいぜい1.5キロというところで迷ってしまった。
びゅびゅびゅと通り過ぎる自転車の人に恥を忍んで教えてもらって
やっと帰りつけたとさ。
迷うのも、散歩の楽しみ。
でも、寒い日にはちょっとつらい。
夕日が傾いて、さびしい心細い時間。
北風に向かって歩きながら、
もうちょっとでおうちだよ、と思うとちょっとあったかい。
きょうは、ちょっと散歩のつもりが
歩いて歩いて、駅と駅の短い間をたどりながら6つ目の駅まで歩いてしまった。
抜け目なく、「東京区分地図」なんかカバンに入れてね。
長い散歩の休憩地点は、初めて会う知っている人。
お茶とクッキー、音楽とおしゃべりの時間をありがとう。
そして、電車でおうちに帰る。
会いに行くつもりででかけたのではないのに、
散歩の先が出会いでよかった。
迷いに行く。それも散歩。