スーパーでトマトを買う。
「高知産」なるほど。
極端に安い中国産のしいたけは、なんだか危険な気がする。
いろんなバナナがある。
POPを見ながらカゴに放り込んでいく。
そんな風に買い物をしていたけれど、八百屋に行くと買い物が変わる。
かぼちゃ、ホクホクだよ
あんまりホクホクしないのがいいな
さっぱりとした煮付けにしたい
じゃあ日本かぼちゃの方がいいね、いま置いてないんだよ
今度時期が来たら入れておいてくれる?
野菜にも植物にも産地によって、品種によって特徴があって、
素材によって料理が変わる。
そういう知識は、八百屋さんが持っている。
魚屋の刺身を前に迷っていると、
鯵が脂が乗ってきておいしいよ
などと声がかかる。
スーパーのパックの刺身には、バーコードと一緒に「アジ刺身」などとプリントされている。
そこにはそれ以上の知識がない。
パック詰めの食品は、工場で作られたクッキーと同じだ。
なんとなく規格品の顔をしている。
でも、オクラもスイカも植物であり、
畑が、産地が、肥料が違えば味が違う。
さっぱりしていたり、こってりしていたり、
甘みが強かったりすっきりしていたりする。
わたしたちの食べているもののほとんどが
第一次産業から生まれる。
植物であり、動物であり、個体差があり、個性がある。
そのことを忘れないでいたいと思う。
同じ温州みかんが、時期によって産地が変わり、味も変わる。
アイコンとしての「アジ刺身」を買うよりは、夏場の湘南の鯵を食べる人でありたいと思う。
物を減らしてシンプルにと思ってきたけれど、
気づく人は気づいているだろうが、掃除と片づけが苦手だ。
子供のころから何度も何度も何度も言われて
自分のコンプレックスにもなっている。
ここ数年のベストセラー(まだまだ新刊が出ている)のテーマのひとつが「そうじ力」。
本の内容は、ダイエットに励む太った人がダイエットに異様に詳しいように
わたしにとっては知っていることばかりなのだけれど
やっぱりタイトルに引かれて本を手に取ったりする。
すり込み型自己啓発のような部分もあるのが、最近はやっている理由のひとつだろう。
いろんなことを知っている気になるよりも、やっぱり掃除。
片付けもさることながら、そろそろ掃除にも真剣に取り組む時期らしい。
このエントリーからしばらく、トラックバックを閉めることにした。
削除に追われてエントリーがめんどうになる。
これでは本末転倒。
書きたいことを書くために、トラックバック閉めます。
そのうち再開するかもしれないけれど、ここしばらく、多忙なので。
阿佐ヶ谷のギャラリーでの映像上映のシリーズがまた始まる。
前回までは、映像書簡というシリーズ映像を上映しながら
若い作家の作品やかわなかのぶひろ氏の新作を上映してきた。
今回は、おそらく名作や新人たちの映像を
かわなかのぶひろナビゲーションで紹介していくことになるだろう。
映像の世界の今を見つめるイベントにしたいと始まった。
会場が小さく全員の顔が見えるサイズだから、
大きなホールの上映では実現できない密度の濃い会話が成り立つ。
映像自体も興味深いが、作家の視点を直接聞き、また意見を述べるといった
双方向の気持ちのやり取りが面白い。
今回6/30は、とりあえずはジャブといったところで、
映像アートの本場アメリカの名作、怪作がオリジナルフィルムで上映される。
今回も、前回と同じような感じでということだったので、
フライヤー製作を担当している。
たまたま入ったスターバックスでキャラメルフラペチーノとカレーパイを食べ
家に帰ってからあんまりおなかがすかないから、
ふとどのくらいカロリーがあるのか気になった。
結局本家本元スターバックスのホームページに
各メニューの一食あたりのカロリーとアレルゲンの表示を見ることができた。
こういうところ、アメリカ発の会社はしっかりしている。
キーマカレーパイ 490Kcal
げげっ・・・
キャラメルフラペチーノ 237Kcal
うひゃっ
シナモンロールにしなくてよかった。 593Kcal
この夏のフラペチーノ、アズキクリームフラペチーノ、
なんとショートで461カロリー、グランデにするとなんと706カロリーですよ。
心して臨め!
なんとなく自分の歩き方に違和感を感じたのが1ヵ月半あまり前のこと。
気づいたら、なんとなく歩き方が変。
つま先を使っていない。
かかとから着地して、つま先まで体重が移動しないうちに次の足が着地している。
歩幅は決して狭くない。リズムもゆったり。
なのにどうしたことだろう。
意識してつま先で地面をけるように進んでみた。
それ以前から、歩くスピードが遅くなったように思っていたのだ。
かつて仕事をしていた頃、歩くのが早いとみんなに指摘されていたのに。
きっと、歩き方が変わったせいだ。
そして今日、駅まで歩く途中にあっと気づいた。
わたしは今日、普段の服にパナマをかぶり、右近下駄を履いていた。
そして、下駄やぞうりだと、つま先で蹴らないのだ。
この5年ばかり、家の周囲に出かけるときは
いつも下駄か草履だった。
浴衣に買った下駄が調子よく、つっかけ代わりに履いていた。
今の下駄になる前は、和服の雨用にと買った草履だった。
このせいかと思うと納得がいく。
つま先を使わないで歩くということは
足だけでパタパタと歩くことになり、腰とわき腹を使わない。
なるほどそうしてみると、ウエストに肉がつき、ヒップが下がる。
すると、着物を着るのに具合のいい体型になるのだ。
反省して、近所のためのスリップオンを買おうと思う。
青山の小さい三角の土地に、小さな店があった。
学生の頃のわたしはそこに毎日のようにいて
同じように毎日のようにいる人たちと
会話し、恋をし、孤独を味わい、言葉に溺れた。
音楽を聴き、言葉を連ねた。
同じ場所にある今の店で
同じように時を過ごす人たちがいるのだろうか。
あの頃、時間だけはたくさんあった。
指の間からこぼれる砂のように
無為に消費していった時間は、
今考えるととても美しかったのだと思う。
いつの日か、開発に飲み込まれそうな場所にありながら
時間を経て、姿も中身も変わっても、
ずっとその場所はある。
時折その前をとおり、閉まったドアの外から、
こうはいってあそこの隅のあの場所で
過ごした時間を思うことがある。
そのたびに、過ぎ行く時間の美しさを思う。
今、わたしのいるこの時間の美しさを。
生きていることは素敵だと思う。