どんなものにも専門店がある。
古書でも、日本文学や映像、伝統芸能、演劇、美術、
ミステリーや古地図と、それぞれに専門がある。
池袋のジュンク堂の横をずっと雑司が谷の方に行ったところに
舞台の裏方さんが使うものを集めた雑貨屋がある。
それぞれ出自は梱包用品だったり建築金物だったり美術用品だったり
服飾材料だったり舞台用品だったり工具だったりいろいろなのだが
そのどれもが舞台監督や舞台大工、制作者にとってはなくてはならないものだ。
それまで梱包材料屋や金物屋や東急ハンズなんかを回って
買い集めていたものがここだと揃うので、面白い。
大入袋や舞台大工の使う紺足袋や雪駄も揃う。
もちろん、店に行けば恐ろしいほどの品数があるのだが
(何しろビニールテープひとつとっても色や幅、巻きがいろいろだし)
ネットショップをのぞいているだけでも楽しい。
店主は、プロの舞台監督だ。
現場で必要なものを仕入れては自分も使い、
使い勝手がいまひとつのものはオリジナルまで作っている。
こういう、プロの仕事場が垣間見える店は面白い。
ネットショップで簡易体験をしてみてほしいな。
舞台雑貨SKY
相変わらずパラパラとトラックバックスパムがやってくる。
システムをちょっと普通と違うディレクトリで動かしているので、数は少ない。
ログを見ると、スペース全体では
毎日コメント、トラックバックとも200くらいのエラーがでているようだ。
英語のみのコメントをはじくので、スパムコメントはつきにくい。
せっかくのblogというシステムが、本当にもったいない。
スパムメールを見ていても、この手のものはなくならないのだと思う。
なんという手間と頭脳の浪費か。
消す方もそうだけれど、書き込む方の浪費もかなりのものだ。
いくらロボットで書き込むとしても、そのために頭を使ったり準備の手間をかけたり
それでいて、アクセスが延びるとも思われない。
電話ボックスのピンクビラよりまだ効率が悪いだろう。
あきれるばかり。
おしゃれなくらしは、とりあえず新しい家に新しいインテリアと新しい気持ちと
新しいくらしの道具を入れていけばスタートできる。
おしゃれというより、自分の思い通りの暮らしというべきか。
問題はここから。それを続け、自分も満足し、さらにハッピーになること。
電気のシェードにも、エアコンの上にも、もちろんキッチンの壁にもバスルームにも
生活の汚れは積み重なっていく。
主なる家事の担い手が病気にでもなれば、一段とくらしの澱が溜まっていくことは避けられない。
手入れをする時間が少ないなら、持ち物や道具を減らしていくこと、
または手入れをする担い手を増やしていくこと。
その手入れに追われずに十分に楽しめるだけの時間と気持ちのゆとりを持つこと。
わたしにはなかなかそれらが難しく、呆然としてしまう朝もあるのだ。
楽しむために生きている。ハッピーになるために暮らしている。
義務感を、楽しみに変えていきたいといつも思ってはいるのだが。
今回の風邪は、大元は過労だったので始末に困った。
寝る以外に方法がないのだけれど、連日予定あり。
風邪薬が切れる時間になるとてきめんに具合が悪い。
それでも、手抜きに手抜きを重ねてはいるのだけれど。
あたたかくして、家の中を片付けよう。
心が軽くなり、夜たくさん眠ったら、おそらく治るだろう。
治った自分を心待ちにしている。
あしたから、また忙しい一週間が始まる。
とても親しかった人のお姉さんが亡くなった。
お姉さんにも何度も会ったことがある。
クリエイティブでポジティブで、時に落ち込んでも潔く、
とても魅力的な人だった。
その人の作ってきたものは、その人にしか作れない世界で
世の中にも認められ、光を放っていた。
そうね、命はある日無くなるのね。
自分のちょっと先を行く目標にもなる先輩だと思っていた人が
突然にいなくなってしまうことはとてもショック。
最後までかっこよかった人。かっこよくあろうとした人。
命がなくなっても、ここにいなくても、忘れない。
市販の薬は医者の処方するのより弱いんだからと
気軽に頭痛薬を飲んできたけれど
重なれば中毒にもなるのだと気づいた。
そのことは、ショックではあるけれど、何で気づかなかったんだか。
日頃「飛躍的論理性」を売り物にしている割に
論理のかけらも無いではないか。
まあ、目をつぶっていたって言うのはあるけれど。
iPodを持っていない。まわりは結構持っていて、「いいよ」と言う。
音楽を聴きっぱなしという生活をしていないせいだろう。
ずっとラジオが鳴っているような暮らしをしていたけれど、
本気で何かに取り組んでいる時は、わたしは音が聞こえない。
CDが止まっても気づかないし、誰かが声をかけても聞こえない。
電車に乗ったら中吊りを読み、読みかけの本を読み、
一日の予定を棚卸したりして時間をすごしている。
ただ、散歩のときや通いなれた道を歩く時は、
自分の人生にBGMつけたくなることもある。
そんな時、わたしは電子手帳にメモリを差し込むのだ。
CLIEを使っている。
コイツは案外優れていて、メモ程度のデジカメはあるし、
紙が無くてもとっさにメモが取れる。
会議の録音もできる。アラームにもなる。
いざという時にはメールチェックもできるしね。
CLIEのオーディオプレイヤーは、ATRAC3とMP3の再生ができる。
パソコンに取り込んであるCDやダウンロードした音をメモリースティックに入れて
イヤフォンを差し込んで再生している。
MDプレイヤーよりずっと安定しているし、メモリースティックはMDのようにかさばらないのがいい。
先週の徒歩2時間のBGMは、ドナ・サマーがてんこもり。懐かしさ満載。
機械はもう十分。だから、iPodを買う気になかなかなれない。
今度誰か、メモリースティックに音楽をいっぱいにして、わたしに贈ってね。
ほら、封筒で送れるでしょ。
展覧会の手伝いをしてきた。プロの人ではない。
書を長いことやってきて、最近俳画と篆刻を始めた人で
書・絵・筆文字・篆刻・水彩・絵手紙、ありったけをこめたような展覧会だった。
半年くらいの間に、200点を越す作品が出来上がり、会場一杯にぎっしりと150点以上が並んだ。
彼女の作品を見ながら、突然涙をこぼす人がいるのだ。
ふらりと立ち寄った人で、長く眺めていたと思ったら涙がこぼれた。
ひとりふたりではない。何かが心をゆすぶっている。
5日間の会場に、毎日立ち寄る人もいる。
午前中に見に来て、昼からまたのぞきにくる人もいる。
自由で融通無碍な作品が子供の心さえ動かす。
たくさんの言葉の群れの中から、小学三年生が選び出した言葉は
「かなしみは しずかに こころにたまってくる」だった。
ご老人も、自閉症気味に見える青年も、熱心に作品を眺めて行った。
たった5日間の間に、立ち寄った人は300人を超えた。
何か見えない力。何かを伝えようとする心。受け取る心。
いろんなことを考えた5日間だった。
FireFoxをメインブラウザにして、レイアウトが崩れたりという不自由もあるんだけど
タブブラウザって使い勝手がよくて、これから使っていこうと思っている。
で、エントリできているということは・・・そう、一つ前のエントリは解決したのでした。
ログインできたよぉぉ。
blogを書くためのレイアウトがなぜか崩れていたんだけれど、
書くためには今使っているプラグインの「Performancing for FireFox」が便利。
ブラウザ自体に組み込めるエディタで、ブラウザのはじっこに起動ボタンがあるの。
ボタンひとつで編集画面に行けて、投稿までできる。エライ!
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