2006年01月31日

大人の遠足 アースダイビングvol.3

報告期待しないでくださいね、子供の作文みたいだ。
きっと長いよ。(わたしはいつもオンラインで書いている)
備忘録だと思ってくださいませ。

水筒(SIGGのボトル)に紅茶を流し込んでいたら、
「おかあさん、水筒なんか持って遠足?」と聞かれた。
そうだね、遠足かもしれない。
足元もスニーカーで固めて資料持って出発。
久々に原宿駅。なんだか山小屋みたいな駅舎がいとおしい。
スタートは、明治神宮の鳥居前。そういえば、東京在住●十年なのに、奥まで徘徊するのは初めてだ。

初めて合う人ばかりの遠足は、アースダイバーのみなさま主催で
わたしはなんとなくオミソな気分で呑気に参加。
そう思っていたらドドドと事前資料が配布され、そのあまりの濃さに少々恐れをなしつつ・・・。

今回のわたしなりの見所は、清正井と長者丸近辺。
弟イチオシのスピリチュアルポイント体験と、
若い頃に歩き回った地域がどんな按配か確かめること。

さてさて、年令も性別も風体もさまざまなグループが参道を行く。
神社ならではの足音をさせてね。
ザッ、ザッ、ザッ・・・
途中、巨大な大鳥居に輝く菊の紋章、どこからか聞こえる雅な音色。
さあ、北門。おや、団体料金だと200円も安くなる。
人数を頼んで、周りの人に声をかけて、早い話がナンパして団体料金で・・・。
まんまと成功。よかったよかった。
入り口の案内表示には季節の見所など書いてあったのだが、12月~「冬木立」って。
神宮の杜で木立が無かったらなんなのよ、と思いつつ入場。
きれいに手入れされた庭園。
なぜか冷たい風もなく、うらうらとした日ざしで気持ちいい。
端整な離れといった風情の建物を過ぎると、雪吊りを施した松が見える。その脇が御釣台。
日陰に薄く氷の張った池に張り出した場所で、いかにも呑気に釣り糸を垂れたくなる。
この池の水源が奥の清正井になる。
菖蒲の田んぼを抜けていく。
一株一株に藁が巻かれ、冬の寒さをよけている。
一株ごとに多分品種だろう、江戸美人、立田川などと小さな木札が立てられている。
この時期、菖蒲がまったく育っていないからこそ、谷地の様子が現れている。
アースダイバーにとっては絶好の時期だったのかもしれない。
花があったらこの地形の観察なんてする気にならなかっただろうな。
どこの田舎にもありそうな、湿気の多い谷間の風情。
帰ってきてから「多摩の谷地」という写真を見たのだが、ほとんど同じ場所みたいだった。
それでも観たい、菖蒲の盛り。また来よう。
途中の四阿(あずまや)の屋根にはテグスが満遍なく張ってある。
鳥よけだろうかね、巣にするのに抜いちゃうんじゃないかといいつつ、いよいよ清正井。
階段を数段下りたところに、それはあった。
澄んだ水をたたえた木桶のような井戸。
ザンネン!渇水期なのか、湧き出る水を見ることができなかった。
きりりと冷たい水にちょっとだけ手先を浸して退散。ほんとに残念。
これもまた、宿題となる。
パワーを感じたかって?うーん、森の木立に囲まれた澄んだ水としてのパワーは確かに。
北門にもどる途中、見上げるほど背の高い満天星躑躅に囲まれた小径を通る。
ドウダンツツジとくれば妖星伝を思い出すわたし。
清正で満天星躑躅で明治神宮だ。わあ、夢枕獏が喜びそう。
戻る途中、原宿駅方向に向かう水路を見ながら外へ。
その水路は本来ならJRの線路を横切り、
竹下口から竹下通り、一本渋谷よりのブラームスの小径を通り、渋谷川となる。

鬱陶しいほどの竹下通りを抜け、ブラームスの小径を抜け、フォンテーヌ通り、
路地を抜けて明治通り。
途中、店も無いような場所でいきなり立ち止まり、
マンホールに耳を澄ませ、猫の通るような路地を「こっちですね」と覗き込む。
この集団はいったいなんなんだろう。
教会の脇を通って明治通り。
千駄ヶ谷から下りてくる道に向かって、迷い込み、覗き込む。
賑やかな町を歩く奇妙な風体の若い人たちと違う、挙動不審の人々。
古い建物の窓外の手すりが音符になっているといってはカメラを構え、
奇妙にデコレーションされた建物があれば近寄ってみる。
ああ、わたし、こういう散歩が好きだな。
昔あったはずの店を心の中で探し、今の風景と重ねながら徘徊する。
表参道の交番横の小さな橋あとのところはみな気づいているだろう。
その暗渠の上を通り、モミノキハウス前を通り、ふと気づいたら、鉄橋の脇にいた。
歩道橋ではなく、鉄橋。キラー通りを横断している。

キーポイントの龍厳寺。富士が見えたというのだから、「高い」場所だったわけだ。
見上げると「勢揃坂」とあり、「鎌倉街道」とある。
そういえば、「原宿」も新宿のように宿場町だったのだろうか。
資料を見ると龍厳寺あたりは「原宿村」と「千駄ヶ谷村」の出会うあたりになっている。
猫の多いらしい道を抜け、木曽アルテックという会社のショールームに立ち寄り
なつかしのパズル青山を脇に見つつ再びキラー通りへ。
とうとう塔の家だ。
高校生の時、「生活の絵本」という雑誌があって、それに塔の家が出ていた。
普通の形の家に住んでいる私にとって、なんと刺激的だったことか。
縦につながったワンルームの家。
そして、この日同行の秋山さんがここで仕事していたなんて!
ついでに、塔の家のとなりは秋山さんによれば「ワンさんのみせ」だったのだそうだ。
わたしにとってはそこは福蘭で、25年位前、よく餃子とタンタン麺を食べた場所。
今も昔と同じようなたたずまいだったので営業してるかも。
これも宿題。

キラー通りを過ぎ、青山通りを渡って青山タワービル。
昔、タワーホールにはコンサートを聴きに何度か行った。
もちろん親に連れられて。
今はホールは無い。家具のアイデックが入っていた。
寒くなったのでちょいと温まらせてもらって、すぐそばの梅窓院。
竹のアプローチを通って山門をくぐったら!そこはビルとアスファルトの風景だった。
驚いたのなんのって。
墓苑分譲中らしい。案内所もシャレている。あらあら。
梅窓院のわき道から青山運動場を抜け、下る。ずっと下って、長者丸の道を抜ける。
梅窓院を水源のひとつとして、この裏道は笄川の川筋なのだ。
陸橋の下に、笄公園がある。小さな児童遊園で、あたり前に遊具がある。
「笄」の名を残す数少ないポイントの一つ。

さて、分園の立山墓地脇に庚申塔。急な狭い坂道を登って行く。
青山通りの高さから川に下って、また青山通りの高さまで上がっていく。
青山脳病院のありかを確かめ、向かうは根津美術館。
わたしが学生の頃、骨董通り沿いにある門から入って庭園を散策したものだが
今は美術館のチケットを買わないと庭園も散策できない。
1000円のお庭拝見はちとつらく、ごめんなさいでここも宿題。
次に美術館に行った時には水源を見なくては。
一歩足を伸ばして岡本太郎美術館をチラと見て、傍らの緑に占拠された建物に感動し、
根津美術館横の道を今度は霞町方向に、今は暗渠となったはずの笄川をたどる。
途中、手漕ぎの井戸を見たり、古家にはまったり。
一向はなかなか進まない。
笄川は、ここから霞町交差点の一本裏側の道の下を流れ、天現寺橋に至る。
天現寺橋で古川に合流するのだ。
わたしはこの界隈を徘徊しながらオトナになった。
その頃は単なる細い坂道だった抜け道は川底になり、土手になり、土手道になる。
長い年月を俯瞰しながら見るのは奇妙なものだ。
六本木アークヒルズの上に立った時みたい。
わたしが一人で住んでいたアパートは、「玄碩坂」という急坂の途中を回り込んだ場所だった。
今はけやき坂あたりになるのだが、地形ごと変わってしまっている。
それから比べると。笄川は姿を変えながら昔の場所にある。

そろそろ日が傾いてきた。もう一工程。
六本木トンネルあたりを抜け、元のスターズアンドストライプスのところを過ぎると
いきなり異様な光景に出くわした。
まるでフィールドアートのようだ。
ツンツンととんがった建物は政策研究大学院大学。
そして気味悪くガラス面が波打っているのが新国立美術館。
うわお。
この間、ずっとどこへ移動しても右側に六本木ヒルズがそびえているのが見える。
タイレルコーポレーションみたい。
そしてわたしは地を行くデッカード。

龍土町を横切り、元防衛庁の再開発を横目で見ながら檜町公園。
あれ、公園は?
どうやら六本木再開発の中に組み込まれているらしい。
まったくもう、といいながらとうとう赤坂へ。

赤坂小学校の脇を入り、夜目には見えない小さい看板を右に曲がると!
とうとう終点「赤坂ながら」。
到着は7時前だったようだが、ここから宴は延々11時近くに及んだのであった。
BGMはギターの生演奏。わいわいとした人の声。
大根の生ハム巻き、新じゃがの煮たの、クレソンのきのこのサラダ、
刺身と葉っぱなんだったかのサラダ、豆乳にお豆腐の浮いたの、
うーん、うーん、あとは?
最後にとろろそばを頼んだ。
おいしかった。保証付き。
小さなお店で、室内は行き届いている。
飾ってあるものひとつひとつのディテールが楽しい。
洗面ボウルの水栓ひとつに満足しつつ、
お酒に酔い、食べ物に酔い、人に酔う。

歩きすぎだったけど楽しい一日だった。

投稿者 りりこ : 01:05 | コメント (8)

2006年01月29日

復習、アースダイビング vol.3

土曜日、かねてから注目のアースダイビング、3回目に参加してきた。
一日でかけてしまって、きょうはいろいろ溜まったことをやらなきゃいけないので
詳細はまたね。

たくさん歩いて、起伏を体で感じてきた。
地図を見て、資料を集めて、わかったつもりになっちゃいけない。
そのことを痛切に感じた一日だった。
人間って動物で、平衡感覚やら視覚やら、
そういう体が獲得した情報=体験は、
ものすごい量と質とを持っているのだということがわかる。
職人が手のひらでさらっと触って、計器に出ないひずみを見つけるのも、
体験が膨大に蓄積されているからなのだろう。
生きる達人になりたい。

このエントリーは、備忘録のために。
いずれのレポートの補助になるように残しておく。

順不同

新国立美術館
http://www.nact.jp/

政策研究大学院大学
http://www.grips.ac.jp/frame/fr_campus.html

清正井
http://www.so-net.ne.jp/sps/guide/05/04.html

青山墓地 庚申塔
(立山墓地
http://www.aoyama-net.com/ministyleclub/10.html

青山脳病院
http://www.aoyama-gaienmae.or.jp/history/history/h_08.htm

東京の水
http://www.kt.rim.or.jp/~yami/tokyowater0.html
http://blog.livedoor.jp/tokyowater/

明治神宮
http://www.meijijingu.or.jp/

塔の家(平面図あり)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/mirutake/serizawa05.html

ブラームスの小径
http://202.245.160.133/org/gakugei/kanren/roji/0405.htm

驛の食卓
http://manahanaumaya.seesaa.net/

梅窓院
http://baisouin.or.jp/

防衛庁跡地
http://www.tokyo-midtown.com/

原宿幼稚園
http://www.ans.co.jp/k/harajuku-k/

木曽アルテック社
http://www.kiso-artech.co.jp/

赤坂 ながら
http://akasaka-nagara.com/

投稿者 りりこ : 21:34 | コメント (5)

2006年01月26日

寒中見舞い

去年は義父がなくなったし、年賀状はコレ幸いと作らずじまい。
引越し案内さえ出していないのでいい加減にしないとと、
やっとこさ寒中見舞いを作ったところ。
今回は、初めて自分で作った原稿でネット入稿して印刷のハガキを作ってみた。
出来上がったのをみると・・・
やっぱりシロウト仕事なんだけど、プリンタでの打ち出しミスもなく、満足。
A3プリンタでポストカードを印刷させようという方がかわいそうなわけで、
これからも、我が家はこの方式になりそう。
100枚からの印刷をしてくれる、ネット入稿できる会社があったのが決め手。
よかったよかった。

なにはともあれ、寒中お見舞い申し上げます。
ホントに寒いねっ
体に気をつけてね。

投稿者 りりこ : 21:52 | コメント (2)

2006年01月22日

掃除の週末

すごくすごくすごく散らかって瓦礫の山ようになったムスメの部屋を
ふたりで話しながら片付ける。
本が床に折り重なって崩れ、その部分が何か動物の棲家のようになっている。
何がゴミで、何が大切なのか、たくさんムスメの話を聞く。
たくさん聞いて、たくさん話す。
思い出ってなんなのか、思い出の残し方、思い出の取り出し方、
出すための片付け方、使うためのしまい方。
しまい場所の作り方、リサイクルの話。

思えばわたしが子供だった頃、母親はとても忙しくて
わたしは片づけを教わった記憶は無い。
ただ、片付けやすいいれものを、片付けやすい場所に置いてくれていた。
本を丁寧に丁寧に並べていたら、赤ちゃんに近い幼い弟が横から引っ張り出すので
母親は怒って思わぬ並べ方でどんどん片付けてしまった。
わたしのしまい方は、お母さんは嫌い。そう思った。
ずい分幼い頃だったろうが、鮮明に覚えている。

わたしは長いこと、片付けることが下手だった。
人より片付け上手になったのは、実家を出て
母親の目の届かないところに暮らすようになってから。
自分の思うとおりにしまう。それだけのことだ。
おかしなところでわたしは母が怖くて、
自分の思うとおりに片付けることができなかった。
子供って、変。親って、大変。

投稿者 りりこ : 23:34 | コメント (0)

2006年01月21日

スノーフレイク

DSC00184.JPG

雪眼鏡。ムスメは「セツガンキョウ」と読んだけど、「ユキメガネ」。
小さな雪だるまの形をしたレンズ。
黒いコートの上の雪ひとひらをのぞくと、
ガチガチにシルエットの崩れた雪の結晶が見えた。
ついつい観察したくなる、かわいいレンズだ。
携帯のストラップにつけた。
お、マクロモードよりもっと寄れるじゃない。
印刷の網点がバッチリ見える。
うー、文庫本サイズの東京都地図用にもいいかもしれない。
ちょうどいい具合に届いた翌日降った雪を、わざわざ眺めに外へ行く。
ついでに雪かきもして。
雪眼鏡のおかげで、寒いのもまたいい、なんて思えてくる。

雪眼鏡については→ココ

投稿者 りりこ : 22:30 | コメント (0) | トラックバック

誕生日に自分で買ったもの

SIGGのガンメタのボトル
ボトルカバー
雪眼鏡
LifeSliceカメラ

SIGGボトルは、高校生の時から欲しくて仕方なかったのだが
お小遣いで買うには値段が高かった。
大人になってよかったなぁ。
LifeSliceカメラは、そのうちにちゃんと紹介しよう。
自動シャッターのデジカメで、たった30万画素だけれど、
これがなかなか面白そう。

投稿者 りりこ : 00:11 | コメント (3) | トラックバック

2006年01月16日

有職雛人形

山本夏彦大好き。高校生の頃から山本夏彦が好きだ。
読んでいてスッキリするから。

きょうはネットで調べ物をしていて、
山本夏彦の祖父が日本橋の人形師永徳斎だと知った。
永徳斎の雛人形は、雅で気品あふれる面立ちをしている。
二月後半から雛祭りごろ、
虎ノ門のホテルオークラのロビーで見ることができる。

さらにうろうろしていたら、
山本夏彦とこれまた大好きな辻まことは女性を争うほどの仲間だったとか。
うーん、みんな洒脱だなぁ。

投稿者 りりこ : 22:36 | コメント (2) | トラックバック

2006年01月15日

土いじり

わたしのまわりの中年諸君が、
農や食に関心を持ち始めた。
それぞれに、無農薬、不耕起、EM、永田農法とこだわりを持っている。
すごい人は週末ごとに農地に通っている。
あの世代はこだわるから・・・。
ブランドと言わば言え、それよりうまい野菜だ、といった勢いだ。

きのう知り合った人が、つい先日発売になった本に関わったらしい。
ネットでふらふらしているうちにみつけたので、
リンクしておこうと思う。

画像が無くてザンネン。この本は、シロウトが永田農法を実践している本で、
シロウトさんには向いているそうだ。

おいしさのつくり方―永田農法を家庭菜園でおいしさのつくり方―永田農法を家庭菜園で
諏訪 雄一

小学館 2006-01
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投稿者 りりこ : 22:42 | コメント (3)

2006年01月11日

SAYURIを観たから

日本のようで日本じゃない。
京都のようだけど一度も京都という言葉は出てこない。
祇園ではない。眼鏡橋、いいモチーフだ。
屋根瓦が延々と続くシーンなんてとてもよかった。
きれいで儚かった。女はしぶといなと思った。
勘違い日本にはあまり引かなかったけれど、伏見稲荷の鳥居を駆けて駆けて・・・
お賽銭入れてお願いして、そこでゴーン・・・と鐘がなった。
思わずギャッと小さく声が出てしまった。

それ以外はあまり気にならない。
かき氷が竹の皮にくるっと巻かれているのがうれしかったし、
変な中国風の犬もかわいかった。
ウエストをきゅーきゅー締めた着付けもまあいいし、
ブラジャーが入っているんだろうなという胸のラインも仕方あるまい。
精神的な部分で日本の風俗を描こうとしている感じがよかった。
踊りのシーンもあれくらいあくどくないと、オリエンタルな美しさも通じにくいんだろう。
本当の日本の美しさはなかなか伝わらないようだけど。
しんしんと降る雪が音を吸い込んで静かなこととか、
光をいったんさえぎって落ちる光のやわらかさとか
語らずしてわかっていくやりとりとか、
そういう空気感。
文化というのはそういうところに有るんだなと思った。

イトコのケリーさんは、サユリにとっては悪人だったけれど、
いい役だったし、ダイジな役だったし、
彼ならではの体のきれいさがよくいかされていたと思う。
姿勢のよさと動きのキレは相変わらず。
ひさびさにちょっとうれしかった。
彼はラスト・エンペラーでも子供の溥儀の養育係を演じていて
やっぱりエレガントに動いていたのであった。
ライジング・サンはちょっとつらかったけど、SAYURIは良かったというのが
わたしの意見。

投稿者 りりこ : 22:16 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月09日

とーちゃんとおでかけ

ムスメの冬休みもきょうでおしまい。ああっやっと終わる。
イヤなわけではないんだけど、自由度がぐっと下がるので。
我が家は父と娘のふれあいが少ない家庭なので、
たまにダンナがえらく長く連休(あぶれてるともいう)でも、
親子の会話がどうも成り立っていないのを発見(いまさらかい)。
きょうは、おすすめしてふたりで映画にいってもらった。
少しは会話しているだろうか。
ちょっとつまるとふたりして代わる代わる
わたしの顔をチラッ見るのはやめて欲しいものだと思っている。
自分でしてほしいことをきちんと伝えてほしい、
返答をちゃんと返してやってほしい。
どうせ思春期になったら煙たがられるのだから、
その前に互いによく分かり合っていた方がいいと思うのだが。
というわけで、わたしはfilemakerの研究などして充実してすごしましたとさ。


けっきょく、ふたりから別々にこっそり、
楽しかった、いい日だったとご報告いただきました。
よかったよかった。
おいしい晩ご飯作っておまちしておりましたことよ。

投稿者 りりこ : 18:49 | コメント (2) | トラックバック

2006年01月08日

うっかりした

この寒さの厳しいのに、うっかりムスメとドア前までダッシュしたら、
コムスメちゃんゼーゼーに。
わかっていたはずなのに、ゲラゲラ笑いながら競争したからなぁ。
オトナゲなくて申し訳ないです。

投稿者 りりこ : 23:28 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月05日

川は流れる

育った家のそばには、川と言ったら古川。
東京湾に流れ込む川で、時折どぶ臭い臭いに混じって潮の臭いがした。
ぷくりぷくりと泡がにごった水から上がって来るような汚い川だったが、
環境汚染が言われて随分経った頃、きれいになってきているのに気づいた。
この川は、一の橋、二の橋、三の橋と行って古川橋、天現寺橋、
恵比寿駅のそばを通って東急の渋谷駅のあたりで地中に消えていた。
今もバスが、川に沿って走っている。

バスは、ずっと低い位置を走っている。川べりなのだから低くてあたり前。
一の橋から永坂をずっと上がれば飯倉片町。
左の六本木も、右の飯倉も、高い土地。
この高さにもバスが走っていて、
わたしは学生時代、狸穴のバス停から六本木、材木町、
下がって霞町、上がって高樹町までバスに乗っていた。
バスにでも簡単に酔う体質だったので、高樹町から笄町、
外苑西通り、テレ朝通り、下って麻布十番とよく歩いた。
起伏を辿りながら。
子供の頃から不思議だったのは、材木町。
母に材木町はなぜ材木町なの?材木屋さん無いのに、と聞いたら、
昔はあったのよ、とひと言で済んでしまった。
材木町は、霞町の坂を六本木方向に上りきったところにある。
外苑西通りから上ってヒルズのあたりまで。
材木は川のそばに決まっているものだが、古川とも離れている。

ひょいと思いついたのだが、青山墓地からずうっと下ってきて霞町、天現寺橋と続く外苑西通り、
あれは川だったのではないだろうか。
天現寺橋は大きな交差点で、合流点だったとすれば納得がいく。
竹芝なら隅田川とも近い。
竹芝から船で古川をさかのぼり、天現寺橋から青山墓地方向に川をさかのぼったあたり。
それが材木町。
赤坂、青山あたりの普請にも使われたかもしれない。

先日、こーこさんのエントリーで、銀座の川らしきものの写真を見た。
それから、川が気になる。
東京の都心の川について詳しい書籍があったら読みたいものだ。
銀座にしても、三原橋、数寄屋橋、土橋など、橋のつく地名がいくつもある。
数寄屋橋なんて、いかにも川または堀の合流点というカタチ。
知りたいことがいっぱい沸いてきてわくわくしている。

投稿者 りりこ : 15:19 | コメント (4)

2006年01月04日

胡同

憧れている住まいの形がある。
それは、胡同に似ている。
中国の、迷路のような城壁の中に、中庭を囲んだ家々がある。
他人の家と、付かず離れず。
外に向かってはあまり開いてはいないけれど、
内側には大きく開いている。
中庭で食事をする家族があったり、武術の稽古をする人があったり
音楽をしたり、読書をしたり。
広場の空気を、家の中に持ち込みたい。
もちろんわたしが住むなら、外に対しても閉鎖するわけではないが、
中に入ると仲の良い家族の暮らしがあるのだ。
コーポラティブハウスにも似ているかもしれない。
あるいは下宿屋。
何年か前の夏のドラマ「すいか」に出てくるような。
仲間を募り、仕事を回しあい、得意な人が得意なことをやり、
おせっかいでなく助け合う。
ひとりだけれど、一人ではない家。
家族の問題を家族で抱え込まない家。
そんな風に暮らせたらいいなと思う。

投稿者 りりこ : 23:01 | コメント (2) | トラックバック