原曲ももちろん好きなんだけど、いまのところコレがすき。
Youtubeに、いろんな人が弾いているのがあって、
一応ギターテクを披露するのに使われる名アレンジらしいとわかる。
どれもいい。コレが一番画像がきれい。
Youtubeでcanonで検索して聞き比べたりする。
パソコンの左右の小さなスピーカーからできるだけ大きな音で鳴らして
ちょっと気合を入れたら、きょうも元気だ。
http://www.youtube.com/watch?v=QjA5faZF1A8&eurl=
大人の大遠足、アースダイビング4にほんの少し参加してきた。
今回のテーマは武蔵野台地と荒川流域の低地をめぐる都電荒川線に乗り、
高いところと低いところを体験しようという旅で、
コンセプトについてはiGaさんのここが詳しい。
わたしは東京の北側はほんとにうとくて、荒川線もはるか昔に1度だけごく一部区間乗ったきり。
巣鴨からむこうはホントにしらない。
飛鳥山公園は花見の季節ごとに気になっているのに行ったことは無い。
わたし自身も、当然ムスメも初めての体験だからいいよなー。
ということで参加に手を上げたものの、この日は祝日。
ムスメは最近わたしについて歩きたがらないので、なだめすかして無理やり連れ出した。
まず、早稲田。ここが出発点。ところが早稲田も全然知らないのよねー。
ハナっから方向を間違えて振り出しに戻る始末。ギリギリ間に合った!
都電は、予想に反してとても込んでいる。
路面電車だと思っていたんだけれど、ちゃんと線路を走る。世田谷線みたい。
早稲田を出てじわりじわりと上り坂。
これが鬼子母神あたりからググーっと下がり、またあがる。
これが、標高を記した地図をながめていると本当に良くわかる。
庚申塚。実は、実家の墓のひとつが染井霊園にある。
巣鴨駅をおりて霊園に向かうとだだーっと開けた平らな土地。これが、武蔵野台地だ。
子供の頃、上ったり降りたりの港区民にはなんとなく違和感のある光景だった。
電車は飛鳥山に到着。目の前の小高い公園が飛鳥山公園。
園内は桜の木がたくさん。なにしろ花見の名所だと思っているのでそればかり目に付く。
飛鳥山博物館にも花見のシーンがあり、花見弁当の実物大模型があった。
地元の自然や特産品、縄文以前からの歴史の展示があって、今に続く東京の姿をのぞくことができる。
わかりやすく、見やすい立派な展示だった。
吉宗公の花見で有名な飛鳥山公園だけれど、この土地は吉宗が王子権現に寄進して、桜を植えたのだそうだ。
王子権現は熊野の権現さまを祭っているそうだ。
で、吉野の音無川をもじって、王子権現あたりの石神井川には音無川の名がついている。ふるさとを偲んだのかな
。
ここからまず醸造試験場の跡地へ。桜の植わった公園になっている。
レンガ造りの雰囲気のある建物が醸造試験場らしい。
音無さくら緑地というところへ。ぐにゃりと曲がった石神井川をまっすぐに治水したあと、
元の川の流れが緑地公園になっている。
川床を歩く形でゆくと、つり橋。ぶわんぶわんと妙にゆれるつり橋は、公園の上を通っている。
再び音無川沿いを行くと親水公園。
ポンプでくみ上げている親水公園だけれど、岩場を組んであるのでなんとなくお弁当に向くスペース。
そのすぐ先に、「王子の狐」で有名な扇屋の売店があった。
応対してくれた人は、○○代目なのだろう、扇屋と王子の歴史に大変詳しい人で、
ここでのいろいろは多分、同行の人たちのblogに続々掲載では?
わたしはといえば、ものすごい知識と膨大な資料が小さな売店に眠っていることにびっくりして、
わたしも身近な年長者の知識と知恵を今のうちに聞いておこう、などと見当はずれなことを考えていたのだ。
そして、ここはもう王子駅。第一ステージは北とぴあの展望台で終わる。
ここから先こそが武蔵野台地から先の標高も地質もおそらく文化も気質も違いそうな
東京ディープエリアなんだけど、子連れダイブはここで終了。
展望台から眺めれば、曇りだというのにかなり遠くまで見ることができる。
ムスメの興味はもっぱら新宿で見知ったビルや東京タワー。
彼女に今日の出来事はどんな風に残るやら。
子連れダイブは、子供のおなかのすき具合や飲み物の世話、
飽きてもう歩かないなどと言い出すと困るので説明したり楽しませたり
気をとられることが多くてどうも気が散っていけないのだが、
それなりに勝手に楽しませていただいた。
すごく楽しめた!そして、次は子ナシでひたりたい!と思いながら帰路に着いた。
企画、調査、資料、そして当日のご案内、まことにありがとうございました。
えーっと、ムスメの感想の一部。
「面白いことがあると大騒ぎして、おかあさんみたいなオトナばっかりだね」
それはホメてんの?けなしてんの?
それなりに新鮮だったようでございます。
全12ページに及ぶ遠足のしおりのうち、わずかに4ページまででのリタイア、残念です!
お後の様子は参加の面々のブログでお楽しみくださいませ。
af_blog
トーストを焼く。
ガス台のグリルで焼く。
焦げないように火加減して、こまめに裏返して焼く。
焼きあがったトーストにはバターを塗る。
バターを買うと、
たて半分に切ってから7ミリくらいに切っておく。
バターがきれいにしみこんで黄金色になったら
和がらしを薄く塗ってハムをのせる。
四角いトーストに丸いハムをのせると余白が出るから
真ん中に1枚置いて、
両側に半分に切った半月をパンの耳に沿って置く。
朝のハムトースト。
前回、6回目6回目と書いたような気がするけど、今回が6回目。
阿佐ヶ谷のイベントも常連さんができて、なかなか毎回盛況。
今回上映作のひとつ、映像書簡6が作られたのは95年。
わがムスメの誕生と同じ年。
日々作り続ける、作られ続ける生活を切り取って、切り取ったものを再構成する。
そこにあるのは実像と虚構のはざま。
映像に切り取らずとも、日常を自分の脳内変換で半虚構に再生させてみようかとふと思う。
今回も、イベントあとには茶菓という名のプチ宴会の予定。
談論風発、となるとよいのだが。
わたしは、わりと個人商店で買い物をするほうだ。
一方、ダンナはスーパーマーケットや大型のショッピングセンターが好き。
買い物は会話も無く、POSだけが客の動向を知っている。
このあいだ、町の工務店というべき大工さんと飲んだのだ。
家を建てる人の多くが
住宅展示場で家電を買うようにハウスメーカーの家を買うことを嘆いていた。
建てる人にとってとても高い買い物になっていることを
彼はしきりに言うのだ。
もっと自分の生活や使い勝手に合った家がずっと安く作れるのに。
工務店に相談してくれたら全部解決してやれるのに。
ハウスメーカーの家だって、どうせ俺たちが作るのに。
まあ、俺たちが地域の人たちにアピールができてない、
営業ができてないってことももちろんあるんだけどさ。
でも、実際のところ、いかに宣伝を打とうと、地域の集まりに貢献しようと
多分、彼の周りの人ですら、ハウスメーカーの家を買うのだ。
なぜなら、大きな買い物で安心したいから。
昔は、ダレソレさんちの息子に頼んだら、
間違いない仕事をするからというのが小さい社会の中で当たり前だったろう。
でも、今となっては「作り手」が見えているほうが少ない。
家の中を見回しても、顔を知っている誰かが作ってくれたり、
付き合いのある人が選んで商っているものの法が少ない。
飲み会でいつも一緒のあの大工が、どのくらいの実力があるのか
実際のところはわからないなと思っている。
建具や作り付け家具は頼むけれど、なかなか家までは決意できない。
「作成事例を知っている建築家さんが薦めてくれた工務店」の方が
同じ町内に住んでいる工務店のおじさんより安心できるのはなぜだろう。
「こんなことじゃいけないんだけど」とわたしは小さく悩んでいる。
リニューアルした国際文化会館の宿泊室を見るチャンスがあって
わくわくしながら覗き見しに行ってきた。
以前は廊下を真ん中に、庭園側と駐車場側にあった部屋が
駐車場側に廊下を取り、全室庭園側に向いた。
カードキーを差し込んで部屋に入ると、正面の障子が美しい。
吉村順三の障子。
カーテンボックスには遮光のロールカーテンが隠れている。
二重ガラスの掃きだし窓も木製建具だ。気持ちがいい。
その前に、わりと大き目のデスクがあり、電気スタンドはトロメオ。
デスクの上のラジオは木とアルミの美しいLEXONのミニ・ドルメン。
デスクにはLANケーブルの差込口とコンセントがあった。
荷物置き場をかねた大き目の書棚が、この施設らしい。
学術研究などで宿泊するには書棚が必需品だろうから。
大き目の横長のテレビ、開き戸の中に隠された小さい冷蔵庫とティーセット。
ベッドはクイーンサイズで、ワッフル地のバスローブが置いてある。
アームチェア脇には読書灯も置いてあり、手元明かりが取れる。
ゴミ箱はデスク脇に、プライウッドの木目のテーパータイプ。
20平米そこそこで決して広くないけれど、小さなベランダがついて広々とした印象がある。
下に見えるティールームの屋上も緑化されているので、
庭園と一体になっていてまったく邪魔にならないのが美しい。
白と木のものが目立ち、とても落ち着きがあるいい部屋だった。
フロアには、洗濯機とアイロン台のあるランドリー施設や飲み物の自動販売機があった。
階段を下りてみたのだが、踊り場のフロア表示がとてもきれいで、ワクワクした。
蛍光灯は、人が通ると点灯する仕組みらしい。
ついでに、トイレの表示も秀逸。
建物も、インテリアも丁寧に作られているのがわかる。
今度はゆっくりと庭園を散策したいと思った。
写真を撮られるのが嫌い。撮るのも嫌い。
人の入った写真が苦手なのだが、もらうのは苦にならない。
あまり見返すことも無いのだが、何かの拍子に見れば懐かしい。
子供の写真を、人はたくさん撮るようだが、どうもカメラを向ける気にならない。
ムスメが写真を撮られるのを嫌がるのは、なぜだかわからない。
彼女は、自分が写った写真を見るのが大好きなのに。
わたしは赤ん坊の頃の写真がほとんど無い。
生まれたときから入院騒ぎで、しょっちゅう病院に通っていた。
生まれた赤ん坊がひ弱でちっちゃくて、死ぬのが怖かったのだろう。
子供の頃から長いこと整体師さんのところに通っていたし、
やたらと注射を打たれたし、ほとんど常時薬を飲んでいた。
わたしの両親はわたしが生まれる前の月に1歳の長男を亡くしている。
新しい赤ん坊に喜びすぎたら、何かあったときに立ち直れまい。
ダメージが大きかったのは想像に難くない。
弟は、まるまると太った赤ん坊で、こちらの写真はたくさんある。
( 別にひがんでもいない。わたしは自分の写真が苦手だ。
写真をもらうと、お菓子の缶に放り込んで、ほとんど見返すことも無い。
わたしが死んだら箱ごと捨ててくれたらうれしい)
今は背が高く、そこそこいいオトコ風な弟が、
ぺっちゃんこな顔をしてまん丸な顔でほっぺたに鼻が埋まったような赤ん坊だったのが懐かしい。
手足はやたらとくびれていた。
少年時代も、大柄で力の強い子供だった。
けなしてるんじゃない、今とのギャップがうれしいだけ。
えくぼの深い、くるくるした目の子供だった。
卒業記念のアルバムやらDVDやらという話になったら、
ムスメの写真やビデオが全然ないのだ。
学校や保育園が撮ってくれた写真くらいしかない。
びっくりして、これは自分のせいだと思った。
もう、そんな時期もおわってしまうというのに、
親の務めをひとつ、忘れていたようだ。
自分の写真を見るのが好きなわがムスメ、
見るのが好きならもうちょっとハッピーな顔をしなさい。
渋面作って半分下を向いているのでは、
かわいい写真はとれないよ。
日記をネット上に書き始めてずいぶんになる。
1996年にはもう書いていた。
普通、日記なんていうものは人様には見せないもので、
ネットの日記なんかどうせ知らない人しか見ないからへっちゃらで
ずいぶんとはけ口にしてきたものだ。
シロウトの日記なんて、読んで面白いものではないからね。
最近、ブログを書いている人が増えたせいで、
いつのまにかリアル知人がわたしのブログも見ていたりする。
見られて困ること、たとえば詳細な個人情報とかプロフィールとか
ズバリの住所とか電話番号とかは書かないようにしてきたつもりだ。
使っている駅や、だいたいの居住地は、長く見ていればわかる人にはわかる。
行動範囲も、書いてあることをつなげていけば大体わかる。
それでも子供の写真をのせたりはしない。
家の中の写真も最小限。
それでも、こんなイヤなことがあったとか、
ああいうことは嫌いだとか、けっこう平気で書いてきている。
浮世の義理で、ココへ行っていることはこの人には伝えないみたいな
ささいな隠し事がそこそこあるのだが、
そういうナマな感情とか隠し事とか、そういうものを書いた過去が
このネット空間に転がっている。
そこをリアル知人がひょいとのぞいたら、大小は別としてトラブルになるじゃないか。
昔はネットを使う人口自体が少なかったから、
そうとうなことをやっても大丈夫だった。
でも、ネットですら「世間様の目が怖い」ようなことになってきた。
自分を偽らず、ストレートに生きている人だけが
このネット社会を飄々と渡れるのかもしれない。
ちょっと怖い時代になってきた。これからもっとなるだろう。
広大に見えたネットの宇宙も、実は網の目が狭くなってきたらしい。
阿佐ヶ谷のギャラリーで、田中ルミさんの「森の糸」を観ました。
ギャラリーの壁面ところせましと並んだ小品。
ふわり、とろりとしたやさしい線なのに、チクチク、ブツブツと残る針と糸のあと。
無邪気に小動物を切り開いては縫い合わせて遊ぶ少女のようで、
心の不安の鍵穴にカチリとなにか差し込まれたようなかすかな恐怖感。
いつの間にか、小さい輪郭はたしかに椅子なのに、
小さくキーキーと声を出しそうに見えてきます。
思春期の少女が作り出す世界のようなのに、リア
ルライフでは「おばーちゃん」だなんて、
ルミさんって不思議。
オトコの人には、この世界は怖いだろうなぁ。
そして、オンナの人なら、きっと自分の底にあるトロリとしたなにか粘るようなモノを
引っ張り出されるような気持ちになるに違いありません。
田中ルミ展「森の糸」
2006年11月8日(水)~22日(水)火休
阿佐ヶ谷 スペース煌翔 03-3393-6337
今回は、同じ文章をメルマガにも載せます。
両方見てしまった方、ごめんなさい。
わたしは文学少女で、音楽はプログレッシブロックなんていう高校時代を送った。
それでもフォークソングの時代の洗礼はしっかり受けていて、
先日のつま恋コンサートの放送など見ていたら、
ほとんどの歌を歌えることに気づいてびっくりした。
で、図書館から吉田拓郎のベストアルバムなど借りてきて聴いている。
高校生の頃、新宿にあったエレックレコードというレコード会社に
ファンルームなる絨毯じきの部屋があって、そこへ友達と何度も行った。
レコードをかけたりおしゃべりしたり。
つい数年前に、同じ小学校のお母さんと共通の友人の家でしゃべっていたら
彼女が同い年で同時期にファンルームに通っていたことが発覚し
捨ててきた過去を目の前におかれたようにびっくりした。
人はどこでつながっているかわからない。
そういえば、かつてのボーイフレンドのひとりが、
10年を超える長い付き合いを経てきたある日、
えっ僕は東京へ出てきてしばらくエレックでバイトしてたんだよと言った。
あの時もひっくり返ったなぁ。
そのエレックレコードが、復活していることを知った。
拓郎も、泉谷しげるも海援隊(武田鉄矢のバンド)も古井戸も
知っているかどうか知らないけどケメも佐渡山豊も
カメカメ合唱団(ニッポン放送の社長だった亀渕さんがリーダー)も
昔の紙ジャケで復活。
なつかしの野音唄の市もある。
買うかどうかわからないけど、懐かしいことこの上なし。
大好きなRCサクセションは昔はフォークソングだったんだよ、
チャボは昔古井戸っていうフォークデュオで、
キヨシローとは別のバンドだったんだよ、なんて言って
若い子たちにウソーーーッなんて言われている
そんな世代のわたしは、ひそかに心おどらせている。
エレックレコード