11月最終日。本棚のおかげでじわーりじわーりと片付きつつある。
入りきらないのは5箱くらいだとわかった。
このところ、本棚に収めながらだいぶ間引いた。
きょうはバイトが休みで、掃除と片付けに明け暮れるが、
それだけで終わるわけもなく、医療費補助券の申請締切日であちこち駆け回る。
なんとか4時半過ぎに終了して、役所の終わる前に滑り込みセーフ。
明日は12月なので、これからあわてて12月分のチラシ作り。
12時前に終わるといいのだが。
なにかと作業に追われて、風呂に入って寝ると2時なんていうことが多く、
朝は6時半なので寝不足。
かつては3時ごろまで活動していて8時半くらいまで眠っていたのでついつい夜が遅くなる。
ダンナ、寄居に行ってから川崎。2t車。
あしたは仕込みかしら。
あしたはバイトだっ!がんばるぞ。
そうそう、あしたからアドベントの週に入るので、いい加減にツリーを出してやらないと。
そういえば、クリスマスはどうするんだろ。
サンタへのお手紙はどうなっているのかしら。
せわしなーい。
家の大きさには限りがある。相変わらずものは多い。
収納以前の問題として、まずは工夫で乗り切れるなら買わない。
買ったものも、必要なくなったら手放す勇気を持ちたい。
なかなか手放せないのは、物には必ずエピソードが付いて回るからで、
その時の自分を捨てるような気がするから捨てられないのだ。
手放すのは悪いことではない。
それらの持つ力を利用させてもらい、いまや卒業するという意味なのだから。
今の時代、手に入れるより手放す方が難しいことになったようだ。
ひそかに集めているものがあった。
10年以上前のことだ。
公言していたわけではないけれど、いただいた時に「集めてたのよ」と言ったので
知っている人は知っていて、だんだん増殖した。
あの時はそういう気分だったのだろうが、どうやら次第に薄れ、
手当たり次第に集めるのはやめ、あまり好きではないのは手放した。
それでも手放しがたいものがいくつかあり、それなりにコレクションになっている。
わたしはウサギになにを託していたのだろう。
ウサギの箸置きが50個くらいあったのだが、箸置きはなぜか消滅するもので、
いまや5個くらいしか残っていないはず。そのことはすでに苦にならない。
ウサギの人形、干支のグッズ、ポットやカップ、いろいろあるのだが
それは手放してもよい気分。
集めた苦労苦心決心があるので、捨てる気持ちにはなれないのだが。
わたしがウサギコレクターだと思っているあなた、
わたしはコレクションをやめました。
ウサギグッズはまだたくさんありますが、おいおい減っていくのだと思います。
今まで気にかけてくれていてありがとう。
酉の市に行った。毎年続けていると、やめるわけにもねぇ。
神様は好きなので、夜にはだいぶ疲れていたけれど娘と新宿へ。
毎年のにぎわい、毎年の人出。
それでも賽銭に10円玉が目立つのはどうもいただけない。
お茶は炉になって、またみんな忘れてしまっている。
巨大な本棚をダンナが制作し、棚板を入れないまま仕事に突入してしまい
わたしは時間を見ては棚板をいれ、本を移している。
全然入りきりそうにない。
毎日追われる人生になり、一向に追いつかないし、早く逃げ切る身になりたいものだ。
夜になって、急に風が強くなってきた。
後回しにしてきた書類各種、〆切ギリギリばかり。
月曜日も早起きだな・・・。
きょうは、展覧会の価格表ができあがらず遅い帰宅。
きのうはとらやに祝い菓子の展示を見に行った。
宮迫千鶴の展覧会は京橋で。
ダンナは仕込。さい芸。
巨大な本棚が組みあがったのだが、実はまだまだ入りきらない。
知らん顔して少し捨てよう。
あすは稽古と学校の行事準備で夕方まで出っ放し。夜は酉の市にいかないと。
あさっては学校行事で朝から夕方までつぶれ、
16時にはバイト先に入って20時半まで展覧会を手伝う。
はっきり言ってかなーりハードワークだよ。
そろそろ校正も上がってくるようだし、もうちょっと落ち着きたいなぁ。
毎日毎日元気なのだが、多忙でならない。
どちらもパートみたいなものなのだが、仕事2種類。
まったく違う種類なので楽しいけれど忙しい。
お茶の稽古に、土曜日学校でのお茶というオマケがついた。
引越し先はいまだにカーテンがなかったり、本棚作成中だったりで落ち着かないけれど
それも我が家らしくていいと思う。
ゆっくりゆっくりと形になっていく。
毎日が新しい日で、毎日新しい発見がある。
偶然もたくさん起きている。
ムスメの保育園時代に仲の良かったおかあさんに、バイト先のすぐそばでバッタリ遇った。
たまたまその日だけ応援で阿佐ヶ谷にいたらしい。
実は、家が近くなった。
また密に付き合いなさいというお知らせかも。
誰からだかは知らないけれど。
きっと、タイミングというのがあるのだわ。
雨の降る日、川面に吸い込まれる雨の粒が美しい。
晴れた日、太陽を見上げて、おひさまの周りに虹のようににじむ光は美しい。
寒い日には寒さを、暑い日には暑さを存分に受け止めながら、
それぞれの日の美しさをみつけたい。
1日1日、すべての日は美しい日だ。
美しさは善であると思う。
寒くなった。確実に冬。
火曜日に休みを持ってきたのは正解で、ダメ出しされたものを直すだけの余裕があってよかった。
名古屋の知人が亡くなった。
脳梗塞で、発生して3時間以内に亡くなってしまったらしい。
70歳を越えていたので、長患いにならず良かったと思う。
脳梗塞なら確実に長期のリハビリをしなくてはならず、
年老いて回復したとしても以前どおりにはならないわけだし、
さびしい気持ちはもちろん大きいけれど、その人のためには良かった。
そう言った途端に顰蹙を買ったけれど、本気でそう思っている。
ダンナの父親は、腸の悪性ガンらしいので、余命数ヶ月だという。
こちらも80代。病院でマシンにつながれている姿は気の毒だ。
抵抗する気力もなくなってしまったらしい。
長いこと抵抗していたのだけれど。
こういっては何だけど、死なせてあげればいいのにと思ってしまう。
呼吸器で呼吸を確保すれば、脳には酸素がいくし、心臓は動く。
栄養は流し込めるので、維持できる。
それでいいのか。
残される者の心情だけで、肉体的に生かされている病人はかわいそうだと思っている。
一次コピーをとりあえず送付して、今後も直しがどんどん出てくることを覚悟しておこう。
風邪気味のダンナが、遠くの仕事に行くのがイヤになって
「きょうは体調が悪くて行かれない」と電話をした。
言うに事欠いて、「病院に行きたいので休む」と言っている。
言いながら照れているのがわかるような口実。
怪我をしようが吐こうが熱が出ようが、歯周病で歯が抜け落ちようが、病院には行かない人。
ニヤニヤしてたらますます照れていた。
自己嫌悪ってあるのよね。
送ってしまった原稿は、いいところのあまりない原稿だった。
うげげ。
今朝は朝から雨で、空気が冷たい。
そろそろ暖房の準備をしなくてはね。北側の部屋は寒い。
カーテンがどの部屋にもないので、ますます冷たい朝の窓ガラス。
もう冬らしい。
ダンナ草月。わたしはバイト。
バイト先では特許や意匠や実用新案の出願書をネットで閲覧。
目がかなりダメな感じになる。
パールの値付けを50個ほど。
ムスメがバイト先に来て、一緒に長靴を買い、
そのまま新宿のメガネ店へ。
長靴は少々きつくなっていて、雨が降るたびに罪悪感を感じていた。
きつい靴はつらいからね。頭痛がしたりもするくらい。
デパチカで、アンケートでもらったチケットで買い物して帰宅。
コピーのほうのダメ出しが来ていて、とてもとてもありがたかった。
このトシになると、ダメ出しなんかなく切られても当然。
なんだかもう疲れちゃって、あした休みにして正解。
そのかわり、日曜日まで休める日がないけど。
わたしが疲れちゃうと、「洗い物なんかしなくていいから寝れば」と言ってくれる。
でも、翌日は倍加した洗い物に追われるんだよね。
で、ダンナが「疲れた」と言う時は、べつにわたしが何も言わなくても
食べっぱなし脱ぎっぱなし散らかしっぱなしで寝てしまう。
「わたしだって疲れてるのにー」と思いながら
夜中までかかっていつもの倍片付ける。
いつもだって食べっぱなしだけど、疲れたと言う時には
食べこぼしやらたらした調味料やら皿からこぼしたものやら
とにかく倍ひどいのだ。
やだなー、家が広くなった分散らかる場所も多くなる。
まあ、だんだんトシをとり、疲れやすくもなっている。
物を減らすのよね、まずは。
ミスドのポイントカードがあと2枚になった。
ムスメがスケジューるンを狙っている。
なんだか絵も描いてないし、写真も撮ってないし、工作もしていない。
最近物を作るって言うことをしていないかも。
余裕がないんだなぁ。
ひとつひとつの新しいことも、次第に慣れて楽になるはず。
ここを越えたら、ここを越えたらと思いながら、
なかなか向こうは見えないのだが。
本日、ムスメは新宿でなにやら実験教室。
学校の友だちとなので、行きは友人の父親、帰りはわたしと
分担で送り迎えをしてみたり。
なんだかぐぐっと負担が少なくなったような。
その上、ちょっと早めに終わったらしく、道を急ぐわたしに電話がかかった。
うーん、べそべそ泣いているだけの時代はおわったらしい。
ありがたいことでございます。
子供は育つ。自分を育てなくては。
コピーの仕事。ことごとくスケジューリングをはずしてしまう。
どうも波長があっていないらしい。
もっと観察しなくては。
引っ越してシアワセな暮らしになったかというと、
あっという間に日常の荒波に揉まれているのだった。
だいたいが、結婚したらシアワセになれるとか、彼氏ができたらシアワセになれるとか
そんなことはないのであって、日常生活が日々に占める割合の方がずっと大きい。
12日打合せ、13日作業と土曜日学校。
14日も作業と雑用と講座のお迎え。
アルバイトをしにでかけるっていうのは、多忙になってくるとつらいものがある。
でも、得られるものがとても多い。
ダンナは11日に出発して、14日午前中まで大分の予定。
またすれ違いかもなぁ。
前にも人に物を頼むのが下手だと書いたけれど。
風邪が大変だったせいもあって、いろんなことが後回し。
積みあがったモノゴトの処理にアップアップしている。
「やることリスト」は際限なく増え、アポイントの合間を縫って、自宅の中でも走っている。
イライラする。乱暴になる。ドアが音を立て、椅子にぶつかる。
そんな自分に嫌気が差して、やっとの思いで頼んだ。
「時間がないの。寝室の後片付けと食卓の自分の食べたものの片づけを頼む」
そんなたったひとことで、楽になるのに。
わたしに似た人、頼んでごらん。
単に、あの人は自分でやらなくちゃ気がすまないと思われているだけだったりして。
手伝ってくれと頼めば、手伝ってくれるかもしれないよ。
生活の場は、太陽の光は別として
電灯は暗めの方がいいと思っている。
壁に反射させた間接光や、乳白のガラスをとおした色が好き。
必要なところに必要なだけ明かりがあればいい。
わが同居人は、中年過ぎてとみに暗い暗いというようになった。
目の方が傷んでいるのだから、眼科に行った方がいいと思うのだが
天井に蛍光灯を大量につけて光量を確保しようとする。
今回もまた、シーリングをつけて面で明かりを確保するという譲歩をしてしまった。
とてつもなく明るくてまぶしいほど。
家具に大きな影ができるので、狭く感じられてならない。
わたしとしては、なぜこれで平気なのかよくわからないほど。
内心、つらいよーと思っているのだった。
体を診る人というのはすごいもので、眠るたびにちょっとずつ治っているようだ。
まだ声がガラガラするけれど、これも早晩治るだろうし
咳き込みや体の痛みは確実に去っている。
ダンナは相変わらず忙しい。
引越し先でお食事会を企画してくれて、新しい人たちと出合った。
ありがたいのは友人だ。
わたしはモトがやたら飲めたもので、今でも飲めるような気がしている。
飲めば飲めるけれど、確実に弱くなっている。
これでは晩年、飲める気でうっかり飲みすぎた父親と同じではないか。
きょうは、ちょっとずつちょっとずつ片付けて、ムスメと新しい公園を抜けて買い物に。
新しい公園は、晴れた日なのでやたら混んでいた。
犬の散歩ができる、いい感じの公園だ。
丘の様な芝生のところに、敷物を持ち込んでなごむ人たち。
ついこのあいだまでカラスがたくさんいたのだが、
いったいどうなったのだろうか。
お弁当を外で食べられるなら、第二のダイニングとして使えそう。
きょうの偶然:信号を渡るとき、ふと振り返ったら、知っている人がいた。
確かに家は近いのだけれど、何年も会っていない人。
というか、先日夫を亡くされて、通夜の席で会った人。
一瞬気づかず、挨拶しそこなってしまった。
偶然とはおそろしいものだ。考えている以上に、彼女の家に近いのかも。
これを含めて、きょうは3組の知人とすれ違った。
わたしはタバコを喫わない。
まだタバコがかっこいい時代の人なので、当然喫うと思われている。
このところ、長い長い風邪だった。喉がめちゃくちゃになった。
ダンナのタバコが苦しくてならない。
鼻の奥に張り付く煙のにおいで咳が出る。
だからといってやめる人ではない。
なにしろ、喘息のムスメを抱いたままタバコをふかす人だから。
最近、喫煙は小さな殺人だと思っている。
さて、どうなる、この夫婦関係。