金曜日は忙しい1日だった。
着物を着てお茶に。面倒だとは思ったのだけど、これがあとで幸いする。
先週が今年の稽古始だったのだが法事で行かれなかったので
ちょっと華やかな組み合わせ(帯がめでたい)にしてみたのだ。
稽古の最中に仕事のトラブルの電話が入り、血の気が引く。
けっきょく間違いだとわかり解決。
帰宅すると、別件の資料が床に散乱していて、確認すると急ぎだという。
着物を捲り上げるようにしてパソコンに向かい、とりあえず納品すると出発時間を過ぎている。
着物は脱いだら「椅子の背中にかけておく」わけにも行かないので
着替えをあきらめてそのままでかける。
行き先はお台場のホテルで、ディナーショウのお手伝い。
お手伝いと言ってもいるだけみたいなものだが。
数回しか乗ったことのない「ゆりかもめ」でキョロキョロしながらお台場。
着物が似合わない風景だ。
リゾートっぽいアプローチを抜けてロビーに入る。巨大。
なんだか空虚に広いような気がするのは、古いホテルに慣れているせいだろう。
71歳の叔父は、16歳からずっと歌っている歌手で、
今も年に何度もディナーショウをして歌い続けている。
普通は「往年の」という歌手は、その「往年」の栄光で歌い続けているのであって、
歌手としての声の艶とか闊達な感じは失われていることが多いのだが
この人は、今も新しい歌に挑戦し続けているし、声もつややかで話もおもしろい。
子供の頃は知らない人たちが「あの人の」親戚としてわたしを知っていて、
「あの人」との親しさを示すためにわたしに優しいことが鬱陶しかったし
なんだか「ちやほや」の中の人たちを馬鹿にした気分だったのだが
今になっても「歌手でいるための武器」であるウィットや
頭の回転や声の艶、体力を持ち続けている叔父を
尊敬せずにはいられない。
イマドキのバンドなどで、調子が悪いときにボーカルがメタメタだったり、
チューニングがどんどん壊れていく時のことなどを思うと、
綿密に準備し、どんなに体調が壊れて倒れそうでもテンションを保ち、
最後までステージから気を抜かない様子は鬼気迫るものがある。
それが71歳。
自分もまだまだ先が長いのだと思わされる。
随分前のエントリーに、キヨシローはすごかった、それに比べて
「栄光」で番組に出ていた元バンドの精彩のなさよ、みたいなことをチラと書いたのだが
叔父を見ていると、エンターテイメントとしてどう客を喜ばせるか
そのために自分はどうなっていくべきか、なにをするべきか
常にそれを考えていることのすごさを感じた。
わたしも死ぬ間際まで進歩し続けたいと思う。
結局この日は朝の9時に着た着物を夜中の0時まで脱がずじまいだった。
土曜日、朝からバイト。多忙。プリンタの調子がまたも悪い。
いい案内状ができた。
秋山祐徳太子氏の展覧会。
いくつかとても目を引く作品がある。
まだ先のことなので全部を見ているわけではないのだが。
楽しみだ。
整体と銀行に用事があって新宿。
今日の買い物は食べ物ばかり。
年に一度の贅沢日なのだが手元不如意。
長門の久寿もち、風来坊の手羽先、
佐藤養助の稲庭うどんのはじっこ、清流庵の柚子皮、はれまのちりめん山椒、
その他ちまちま。
まあ、そこそこ満足。
なんだか贅沢そうなホテルのフロアの研究をし、本日もおしまい。
紹興酒とあつあつのうどんで体が温まる。
このところすぐ冷え切っていたのでなんだかうれしい。
きょうは、日を越えないうちに眠ってあすへの根性を取り戻そう。
おみやげのどらやきは「黒松」という名前だった。
楽屋から持ってきたらしい。
ふっくらとしたホットケーキのようなやわらかな皮は黒糖のかおりがする。
餡はつぶ餡。
意外に軽い感じで食べやすい。
お茶にいいなと思って検索すると、
これがなんと100円だという。
すごい・・・・
ネットでも販売中。
バイトから帰ったら寒くてならない。
なのに頬が火照り、耳が痒いくらい。
冷えのぼせって、あれじゃないの?コウネンキ・・・
そう思っているうちにダンナがきづき、
あれよあれよという間に。ご飯を食べて寝る算段が付いてしまった。
つらかったので感謝して、床に就いたのが9時。
翌日起きたらもう6時で、まもなく起きる時間だった。
おかげでしっかり回復して、今日一日は元気。
やっぱり早寝に限るようだ。
着物の好みは渋派手。
渋めに選んで、でもあたり前にならないように。
このあたりの感覚は洋服と一緒かも。
シルエットが大切だと思うので、姿勢と着方には気を使っている。
まあ、どなたさまのものも全部同じ形のものなので、シルエットも何も無いけれど、
裾の絞り加減や衿のあき加減に自分なりのカタチがある。
行動はさばさばと。和服だからとチマチマしない。
わたしの着物は母から下がってきたものがほとんどなのだが、
組み合わせ次第できりっとした渋派手にも、単なる派手にも簡単に変わる。
ちょっとのことで大違い。
このあたり、着物の面白いところだ。
18日に義父がなくなり、きのうが葬儀だった。
今回は、身の丈に合った儀式ということをいろいろ考えさせられた。
ともあれ、今回のギャグは坊さん。
おもしろいことがいろいろあった。
ダンナの実家の菩提寺が寛永寺なのもなかなかおもしろかった。
お参りに行って博物館に行くコースというのもいいかもしれない。
きょうは早速夫婦とも仕事で、ムスメは留守番。
ここ数日でめっきりと埃っぽくなった家の掃除は、あしたにする。
古い記憶は消え去り、新しい勢力が台頭するのだ。
我が家に小さな一区切りがあった。
おとなたちは過去を口にするけれど、
過去に縁の無い子供たちはきょとんとして居場所を見つけられずにいる。
ともあれ、個人に知られざる歴史があるのだから、
時代にはどれほどの知られざる歴史が隠れていることか。
キーワード
電話 待機 光が丘 30万円 半紙 デニーズ じゃんけん 紹興酒の夜話
変な具合にあいた1日ができたので、デパートに買い物に。
二部式襦袢、ベルト、タイツ、刺身のサク。
ジューススタンドでフレッシュオレンジジュースを頼んだのだが、
300円なのに5個も絞った。
びっくり。
朝は、出かけるまで二時間半程あるのだが、
夕べの散らかりを片付けてから朝食の用意、寝室の片付け、朝食を片付けて
掃除をして洗濯をして洗濯物を干して、玄関の掃除をして
花に水をやり、準備して出かける、
これがぜんぜん間に合わない。
前日片付けて眠っても、ダンナの荷物や前日の夜食や脱ぎ捨てやその他いろいろ
とにかく散らかりまくっているので片づけから始まる朝。
それは見こんであるのだけれど、それでも間に合わない。
できるなら、生活の場を満足するまで整えたい。
ふと気づくと休日らしい休日がなくなっている。
そんなこんなで、行動メモでもつけてみようかと思っている。
どこかでごっそり時間をロスしているに違いない。
blogを書いている時間がいけないんだったりして。
きょうはNHKでずっと震災特集。
毎年この日はずっと見ているのだけれど、
ムスメに、「誕生日なんだから笑顔になるようなものを見た方がいいんじゃないの」と言われた。
そうかもしれない。
悲しみやつらさに共振しないようにしないといけないと思う。
きのうから続く冷たい雨。
ゆうべはついうっかり、夜中近くから「ペギー・スー」を読み始めてしまい、気づいたら3時半。
今朝はダンナが現場に行くので早起き。なのにわたしは寝まくった。
キリンと冷えた空気、アラジンのストーブをつけて鉄瓶を乗せた。
結露で曇る窓を見ながら、桜のことを考えている。
子供のときに通ったあの桜坂。グリーン会館のあたりの桜、
スペイン大使館あたりの桜、ホテルの中の桜。
ホテルの美術館の、暗がりに重たい絢爛の桜。
ムスメを出産したときに、病院の窓から見えたふくらんだつぼみ。
このところテレビは阪神大震災を特集している。
その日は大災害を思いながら、またひとつ年をとる。
そしてかならず、あの日渋谷の駅で配られていた号外を思う。
アクセスログを見たら。「かき餅」の検索ワードで来ている人がちらほら。
コツだけ書いておきますね。
まず、鏡餅を開いたり、なまこ餅を切ったりしたら、
寒風の中でよく乾かす。
凍ったらなおサクサクになる。
凍ると水分だけ抽出されるし、餅の内部に亀裂が入るから。
強烈に寒い地区はボロボロになるかも。
乾いた餅を低めの温度で揚げる。
揚げたてに生醤油や砂糖醤油を回しかけたり、塩を振ったり。
カレー粉もお勧め。
コツはよく乾燥させることと、油の温度を低めにすること。
揚げるのがいやな人は、小さめ、薄めのものなら電子レンジでもプーッと膨らむ。
切り餅も、水を振ってレンジにかければ、ナマコにできるから、
青海苔なんか練りこんでもいい。
我が家には餅好きな人がいるので
あまり残らないんだけど
さすがに鏡餅はね。
まじめにやっているけれど、生活面で問題があります。
そう書かれそう@通信簿。
風邪を心配してくださった方々、もう大丈夫。
なんだったんだろう。がっくりトシを取った気分だ。
あしたこそ、がんばる、と思ったりして。
洗濯、着替え、徒歩、入金、記憶違い、帰宅、電話、花びら餅、
羊羹、重ね茶碗、メモ帳、赤ペン先生、桜、日本庭園、電話、肉炒め。
着物を仕立て直しに出した方がよさそうだ。
きょうも寒く、寒いと気力が無い。だれもがそうだろう。
子供を見ると、元気さに頭が下がる思い。
ムスメはきょうも室内では半そで。
この人は食べても食べても太らない。
そのあたり、ちょっと考えよう。
まだお嬢さんだった頃、よく行くカフェにいつもいる人がいて、
わたしが煙草を吸わないのを知っていて言った。
「煙草を憶えるより、女の子は葉巻を吸ったらいいと思うよ」
その頃は葉巻といえばアル・カポネとかルーズベルトとか吉田茂とか
そんな豪胆オヤジしか思い浮かばなかったので
どういう発想なんだろうなと不思議に思った。
ホテルのシガーバーは、12階にあった。
ベルベットに宝石を撒いたようなというのは本当だと思う。
高すぎもせず低くもない12階のガラス越しに、
都会の光が吸い込まれるようにきれい。
立派なワインセラーのある、パラドールのようなワインバーを抜け、
奥のガラス扉の向こうにもうひとつ別の世界があった。
革張りのクラブチェアのあるサロン、ラウンジテーブルの上には四角い大振りの灰皿。
そして、ピカピカに磨き上げられたガラス張りのウォークイン・フュミドール。
フュミドールに入ると、葉巻のいい香り。熱帯の森のようだ。
湿度の高い空気の中の甘さを含んだ乾いた葉の香り。
整然と並んだ葉巻は、それぞれに装飾帯をつけて、美しい。
床まで開けた大きな窓のそばに並ぶクラブチェアにゆっくり座って、
甘い香りのする酒を飲みながら
一本の葉巻が尽きるまでの贅沢な時間。
どうやら、煙草は一服の清涼剤、シガーはゴージャスな時間を作り出してくれるものなのだろう。
ゆっくり傾けるコニャックのグラス、深く響く音楽、
懐かしい映画、大好きな絵画、お気に入りの車、
そういったものに近いのだと思った。
そして、昔聞いた言葉の意味がわかったのだ。
それは、女の子はゴージャスに育ちなさい、という意味だった。
贅沢を知り、贅沢を享受し、なおかつ崩れない、上品な人になりなさいという意味だったに違いない。
引っ越した先は、川べりの3階。
ちょうど居室は南側の川に向いているので
以前の家に比べるとずっと空が広い。
それだけのことで、開放感が全く違う。
川の向こうも高くなってはいるのだけれど、
こちらが3階にいるせいで、平屋の家並みを眺めているようだ。
天気の移り変わり、空の色、
雲の様子や飛ぶ鳥のすがた
そういったものが生活の中にあるのはいいものだ。
ラジオで小耳にはさんだ言葉。
よそで用事をしていたので誰の言葉だかわからないけれど、
終戦の前後で全く生活も価値観も信念も変えざるを得なかった
庶民の覚悟のようなものを表わしていると思った。
何かと「節目」と言うけれど、まさに折れ目だったのだろう。
世界的な大きな転換期が来ていると思う。
価値観も信念も変えられないでいると、
人生が飲み込まれてしまうような転換期だと思う。
覚悟を決めよう。
年賀状は、かつてはずっと取っておいたものだけれど
最近はできるだけ早めに処分するようにしている。
毎年おもしろいシリーズ物の人たちは、別に整理するとして
ほかのものは、ハガキの大きさの箱を2つ用意して、ひとつは去年の、ひとつは今年の。
年末の大掃除の時に古いほうを空にして、そちらに届いたものをいれていく。
何年分もどさどさと箱に入れていた頃を思うと
なんて思い切りがよくなったものかと思う。
ある年、わたしの出した古い年賀状をとってある友人の話を聞いて
処分してくれたらいいのにと思ったのがきっかけ。
過去のわたしは、過去でいい。
だからわたしも、片付けてしまうことにした。
それでも必要な人とはまためぐり合ったり、
いろんなことの起きる人生だから。
すべてのことは、自分の美意識で決める。
好き嫌いとはちょっと違う。
はっきりと基準がある。
ズルをする自分は嫌い、
散らかったテーブルは嫌い、
花があるのは好き、
ていねいな言葉は好き、
背中がまっすぐなのは好き、
キャラクターの通帳は、好きだけど美意識に合わない。
だんだんに、自分がバージョンアップするかも。
あすからまたバイトが始まるので、事務やらなにやら。
新しく普通預金を作った。今年からきちんと管理していこうと思う。
それだけの資格がわたしにあるだろうか。
いつでもそう思いながら仕事をしている。
古いコピーが出てきた。あの頃から、あまり進歩していないかも。
ひどいなぁと思って落ち込む。
がっくりといえば、ボヤ騒ぎ。ベランダのコーティングが燃えはげてしまった。
見るたびに落ち込みそうだ。
うー、ダンナと相性悪いのかね、わたしは。
きょうも晴れ。
今年は帳簿をつけようと思っていて、ネットをさまよう。
いろいろ見てみたけれど、最終的に自作テンプレートになることを考えに入れつつ、
データベースソフトを使うことにした。
とりあえず、売掛帳と請求書を連動させるテンプレートを作ったところ。
きのう、きょうでヒマを見て作った。
一応できあがった模様。
消しこみもできるかなー。
きのうはダラダラ過ごしてしまった。
朝から線香など上げる。
洗濯、掃除。掃除するそばからバルサを削ったりノコかけたりして工作する人あり。
服に木っ端をつけたまま歩き回るので、家の隅々まで木っ端がまわる。
くやしー。でも、家事なんてそんなもんだ。
今日は吉祥寺でムスメと買い物。
学用品ほか。
次のタームが始まっている。気合いれなくては。
なにはともあれ晴れ。お正月はどうして晴れるのだろうか。
3日の父の誕生日が天気が悪かった記憶がない。あったのかもしれないが。
今年は、実家から独立して初めて、全くお節を用意しなかった。
雑煮の準備だけ。
こんな正月もいい。
実は、あまりめでたい気分でもないので。
ダンナ実家の方々にはご無沙汰してしまっているけれど
ダンナ父の具合、どうかなぁ。病院で年越しは悲しかろう。
年末に世界的災害があり、その前には国内でも多数。
地球が身震いしているようだ。意思を持って抹殺されないといいけれど。
というわけで、正月準備に忙殺されなかった分、
ゆとりの新年を迎えた。
ケーキを食べて紅茶を飲んだり、掃除機をかけてすっきりしたり。いい休日だ。
我が家の雑煮は、鶏だし、塩味、焼き角餅、
鶏の切り込み、人参、小松菜、椎茸、口取りに三つ葉と柚子。
子供のときは餅は煮たものだったし、ほうれん草だったような。
あっさりさっぱりした雑煮が好き。うちのは鶏ももだから脂があるけど。
1日のうちに、今年の目標を考えた。
今年もだいぶ欲張りだ。
どんな風に実現していくか、夏休みの計画と一緒で計画倒れにならないように。
ウィーンフィルは、ラデツキー行進曲をやらなかった。
小林幸子が豪華衣装を自粛したのとおなじことだろう。