2005年01月09日

日本の折れ目

ラジオで小耳にはさんだ言葉。
よそで用事をしていたので誰の言葉だかわからないけれど、
終戦の前後で全く生活も価値観も信念も変えざるを得なかった
庶民の覚悟のようなものを表わしていると思った。
何かと「節目」と言うけれど、まさに折れ目だったのだろう。
世界的な大きな転換期が来ていると思う。
価値観も信念も変えられないでいると、
人生が飲み込まれてしまうような転換期だと思う。
覚悟を決めよう。

投稿者 りりこ : 2005年01月09日 13:50 | トラックバック
コメント

そう思う。
なんでもワリカン感覚は通用しなくなっている。
言葉はみなで平等というつもりなんだろうけど、
どうもドンブリ勘定しすぎると思う。

茶道に魅力を感じるとしたら、
そういう感覚と別世界だよね。
現代日本は、みんなで紙コップでグリーンティー飲んで安心しているような。
招く方も招かれる方もない。
かなぁ~??

Posted by: 野猫 : 2005年01月09日 21:35

茶道は、「わたしが引き受けます」という
テイクリスクの感覚がすき。
リスクを自分が持つからには
その中で最大限に自分も楽しもうという
おとなの遊びのような気がします。

「玄倉川の事故」を憶えてますか?
あれ以来、いろんな危機感を感じてます。

Posted by: りりこ : 2005年01月10日 12:27

http://hydro.iis.u-tokyo.ac.jp/~agata/doc/20000414/

これだね。
確か忠告を無視して遭難した?
対人関係が見えないというか、
相手の心を想像しなくなったというか、
心あらずの人がいるね。
守られている錯覚もあるのかも。
ただ、本人自身の問題だから…

Posted by: 野猫 : 2005年01月10日 20:25

あの時、危ないよ、やめた方がいいよって思った人が絶対いると思う。
流れが「突き進め」でも、自分がやめるという、
その場の空気に流されない信念みたいなものが大切。
いざという時には、自分しか自分を守れないという覚悟。
ほかにもいろいろあるんだけど、その辺かな。

Posted by: りりこ : 2005年01月10日 20:57
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