2006年01月05日

川は流れる

育った家のそばには、川と言ったら古川。
東京湾に流れ込む川で、時折どぶ臭い臭いに混じって潮の臭いがした。
ぷくりぷくりと泡がにごった水から上がって来るような汚い川だったが、
環境汚染が言われて随分経った頃、きれいになってきているのに気づいた。
この川は、一の橋、二の橋、三の橋と行って古川橋、天現寺橋、
恵比寿駅のそばを通って東急の渋谷駅のあたりで地中に消えていた。
今もバスが、川に沿って走っている。

バスは、ずっと低い位置を走っている。川べりなのだから低くてあたり前。
一の橋から永坂をずっと上がれば飯倉片町。
左の六本木も、右の飯倉も、高い土地。
この高さにもバスが走っていて、
わたしは学生時代、狸穴のバス停から六本木、材木町、
下がって霞町、上がって高樹町までバスに乗っていた。
バスにでも簡単に酔う体質だったので、高樹町から笄町、
外苑西通り、テレ朝通り、下って麻布十番とよく歩いた。
起伏を辿りながら。
子供の頃から不思議だったのは、材木町。
母に材木町はなぜ材木町なの?材木屋さん無いのに、と聞いたら、
昔はあったのよ、とひと言で済んでしまった。
材木町は、霞町の坂を六本木方向に上りきったところにある。
外苑西通りから上ってヒルズのあたりまで。
材木は川のそばに決まっているものだが、古川とも離れている。

ひょいと思いついたのだが、青山墓地からずうっと下ってきて霞町、天現寺橋と続く外苑西通り、
あれは川だったのではないだろうか。
天現寺橋は大きな交差点で、合流点だったとすれば納得がいく。
竹芝なら隅田川とも近い。
竹芝から船で古川をさかのぼり、天現寺橋から青山墓地方向に川をさかのぼったあたり。
それが材木町。
赤坂、青山あたりの普請にも使われたかもしれない。

先日、こーこさんのエントリーで、銀座の川らしきものの写真を見た。
それから、川が気になる。
東京の都心の川について詳しい書籍があったら読みたいものだ。
銀座にしても、三原橋、数寄屋橋、土橋など、橋のつく地名がいくつもある。
数寄屋橋なんて、いかにも川または堀の合流点というカタチ。
知りたいことがいっぱい沸いてきてわくわくしている。

投稿者 りりこ : 2006年01月05日 15:19
コメント

古川・・・江戸時代の浮世絵で白金あたりの綺麗な古川を見ることができます。また地名は漢字に惑わされることもありますよ。「材木町」はわかりませんが「狸穴」はタヌキの穴ではなくて「馬見山」が化けたらしいです。「久我山」は高貴な方の住む「公家山」だったりする。「恵比寿」がビールなのは有名だけど「松涛」はお茶ですって。麻布近辺の地形はたしかに川で形成されてますね。渋谷の地形は昔の川がとてもよくわかります。

Posted by: パワスポ探検隊長 : 2006年01月06日 22:29

りりこさん、こんばんは。
一般的に外苑西通りのような谷道は比較的新しく整備された道です。天現寺で古川に合流する川は笄川(こうがいかわ)と呼ばれ、青山三丁目の梅窓院付近が水源の一つ、根津美術館にも水源があります。西麻布交差点から根津美術館方面に行く道は途中まで一方通行になっていますが、その一方通行部分の道が江戸時代からある道で、対面通行になってから右に行くと立山墓地の下に庚申塚があります。対面通行部分から根津美術館の敷地内へと繋がる沢には水が流れ池や川になっていたようです。その対面通行部分から西麻布に抜ける一方通行の道が昔の笄川です。西麻布交差点からは、現在の外苑西通りの一本裏道が笄川で順心女子の裏道から広尾、天現寺へと流れていたようです。因みに外苑西通りの日赤病院下から天現寺までは明治初期の地図には畦道ていどの道しか描かれていません。たぶんその辺りは渋谷区と港区(麻布区)の区境が川筋の跡でしょう。笄川も笄町(現・西麻布3丁目と4丁目)も材木町(竜土町と一緒になって六本木7丁目)も地図から消えてしまい、笄小学校にその名が残っているくらいです。
http://www2.rosenet.ne.jp/~kogai-e/shokai/gaiyo_yurai.html
昭和16年の赤坂区詳細図では既に笄川は暗渠とされていたようです。江戸期の古川の様子は歌川広重の 名所江戸百景に描かれています。
http://homepage3.nifty.com/morikawa_works/hiroshige151.html
因みに巷で話題?の「東京の凸凹地図」には笄川の事には触れられていません。残念。

Posted by: iGa : 2006年01月07日 01:49

やっぱり川があったのですね。
きょう西麻布に行ったので笄坂という碑があったはずと思って探したのですがみつかりませんでした。
霞町の交差点から高樹町に行くのが笄坂、
材木町に向かうのが霞坂です。
ついでに根津美術館方向に青柳というお菓子屋さん(学校帰りに何度か立ち寄りました)あたりを
少々うろついてきました。

パワスポ探検隊長とiGaさんのおかげでぐぐっと深くなりました。
古い地図を探したくなる・・・港区の図書館に一杯並んでいたのを憶えているけど
今は杉並在住のわたくしです。

Posted by: りりこ : 2006年01月07日 21:13

雪騒動でバタバタしていました。
東京を離れてからずいぶんと年月がたちますが、根津美術館の周辺で働いていたので、懐かしいです。
暗渠になっている川が増えて、日常に川の存在を意識しなくなっていますからね。去年の杉並区の水害には驚きました。
昔だったら、もっと東京湾に近い下町のほうで浸水とかあったような。

Posted by: こーこ : 2006年01月08日 02:48
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