お気に入りの彫金工房が、ゴールデンウィークのあいだ展示会を開いている。
場所は八ヶ岳南麓の大泉高原。
ちょうど山桜が見ごろらしい。
GW後半、もし時間ができたら遊びに行きたいなと思っている。
なかなかアクセサリーを買うというのは勇気がいるけれど、
このアトリエはめちゃくちゃ庭がいい。
HPにも一部載っているので、花の好きな人には見て欲しいな。
三沢彫金工房
informationのページに今回の案内がある。
数年前に父親が世を去り、それまでに増して父親の存在を感じることがある。
不思議なものだ。
彼に肉体があった時には、その存在は肉体に閉じ込められていた。
彼は八ヶ岳南麓の家にいるのであって
それ以外のところにはいるはずもなかった。
ところが死んでしまった今、彼はここにも実家にもいるのだ。
ふと思い出したその時に、その場にいるような気がする。
わたしの家には仏壇がない。今は無い家が多いと思う。
ひょいと亡くなった人を思い出すとき、
よるべなく心の中で話しかけるのだが
こんな時に、ちょっと「ここ」に向かって話してみるという場所があると便利だなと思う。
なるほど、毎日仏壇に向かって手を合わせる人は
亡くなった人となにやら対話していたのだろう。
きょう、彫刻家の作品を見せてもらった。
プロダクトとしての道を歩み始めたそれは、
そういう思いを置いておく場所だった。
仏壇ではない。オブジェでもない。
誰かの写真を入れてもいい。
指輪を置いてもいい。その人の好きだったスポーツカーのキーでもいい。
ポルシェのミニカーでもいい。
小さな風景の中に思い出を置き、開いた小さな空間に思いを託す。
チェストやデスクにでも置いて、自分の何かへの、誰かへの思いを置いておく場所。
なんだかステキな居場所になりそうだ。
ゆうべ見た「僕らの音楽」で、ゲストは平井堅だったのだが、
3曲目に吉田美奈子とのデュエットがあった。
ああ、吉田美奈子。尊敬してやまない歌姫。
清志郎と吉田美奈子は、常にすごい。
すごいすごいすごい。
ライブに行っていた日々が懐かしく、古いアルバムを引っ張り出して聞いた。
お茶の世界はなんとなく道具道楽のイメージがあって
どうにも胡散臭くて敬遠したくなる。
ところが、実際にお茶を始めてみると、
そんな道楽の対象になるものばかりではないことがわかる。
自由な発想で、自分なりの道具組みを考えるのは楽しい。
高い道具を買わなくても、コーディネイトでステキな演出ができる。
中でも茶箱や茶かごは、おままごとのセットのようで楽しい。
決まった大きさの入れ物の中に、
小さい道具がちまちまと、しかもぴたりと納まることになっている。
今回の展覧会はこの茶かごのセットと茶杓の展覧会。
小さい道具たちがそれぞれに、その道具らしい服を着せられて並ぶ。
服は仕覆と呼ばれる。
道具に合った布を選び、紐を選んでひとつひとつ測って作られるオートクチュールだ。
お決まりの稽古の茶道しか経験のない者にとっては
目からウロコの落ちるような自由な発想。
それでいて、型を無視して外れているわけではない。
茶杓は人柄の表れるようなおおらかな茶杓で、銘がまたいい。
いかにもその茶杓の性格を表わすような、にやりとさせられる銘がついている。
茶道の稽古は、すべての稽古事がそうであるように、
型を徹底的になぞることから始まる。
なぞるために手順を憶えることに一生懸命のうちは
発展して楽しむことが難しい。
もちろん、きれいなものを見て、さわって、食べて飲んで、
それなりに毎度楽しんでいるのだが
稽古の茶道が自分の表現であることはまずない。
与えられたものを楽しんでいるうちは、お茶もまだまだだなと思う。
自由闊達という言葉を思い浮かべさせられる、楽しい展覧会だった。
Dee's Hall 27日まで
茶かごと茶杓展
わたしのフードプロセッサーはとんでもなく古い。
サンビームのミニフードプロセッサーで、実家にあったのを持ってきた。
10代の時にはすでに実家にあった。
バナナシェイクを作って飲んだのを憶えている。
バータイプのフードプロセッサーも持っているのだが、
最近この古いものを使うことが多い。
離乳食のように、少量を細かくしたいときには
バータイプのものが大活躍だったし、
鍋に突っ込んでポタージュを作るには便利だったが
大量に細かく刻むような仕事には一般的なタイプが便利。
きょうも、餃子の野菜を大量にみじん切りするのにこのマシンが活躍した。
米サンビーム社の設計で、日本で生産したものだそうだ。
欠点は洗いにくいこと。
今考えると、多分食洗機を前提にしたデザインなのでは。
強いシャワーで洗うなら、デコボコなんのそのだから。
小さいので何回にも分けて作業しなくてはならないのだが、
なんども分けるほどの分量の食品を
手作業でみじん切りにしたりすりつぶしたりするのは大変。
こんな時こそありがたみを実感する。
朝食のときに、トマトジュースに牛乳を入れてみた。
きれいなピンクになった。
となりでムスメがうげーーーっ!と奇声を上げたが、
じつは結構おいしいのだ。
トマトジュースは塩味なので、トマトのコールドスープっていう感じ。
最近していなかったけど、子供の頃にはおなじみだった。
おかしなこと思いつくなぁ。母殿。
ちょっとコショウなど振るとなかなかイケると思っている。
きょうも晴れ。きのうは夏のようだったが、きょうの方が過ごしやすい。
きのうより空気が乾いて、日差しは強いが風が気持ちいい。
公園は相変わらず家庭ゴミが持ち込まれているようで
とにかくゴミ箱まわりはひどい有様だ。
朝はものすごいことになっているのだが、夕方はきれいになっている。
毎日誰かが夜公園で酒宴を開き、誰かが家庭ごみを持ち込んでいる模様。
そして、わたしが区民税を払っている区の職員が掃除しているらしい。
なんかこう、なんでもメンドクサイで過ごしていると
世界中から鼻つまみ者になるぞ、お前ら・・・と密かに毒づくが、
誰に聞こえるわけでもなく、張本人には届かない。
本日もアルバイト。本当にささやかなバイトなんだけど
少しは社会復帰の手がかりになっているのかしら。
データベースソフトをいじっている。これでラベルが出せるかな。
バイト先のを作るのもいいけれど、自分の方もなんとかしないと。
きょう、10年ぶりくらいの知人の携帯電話に電話したらつながった。
携帯電話が縁の命綱っていうのもなんだかナサケナイし。
渋谷駅ハチ公前。
きょうも街宣車で叫ぶ人がいる。
イラクの自衛隊派遣、平和憲法、年金改革、自民党・・・
大きなナントカビジョンが2つ、それぞれに音を出している。
信号が変わると目の不自由な人のために音がなる。
店頭のスピーカーも叫んでいる。
ディスカウントショップも大音量。
この中で、何を知り、何を考えろというのか。
何もかもが聞こえ、何もかもが通り過ぎていく。
ココロと脳の回路を閉じて、足早に立ち去る。
声高に叫ぶのではなく、目の前の人に話しかけよう。
そうやって、確実に伝えたものだけが相手に伝わるのだと思う。
19日月曜日。夕方から降るという。気温は高い。
今年度初の保護者会で、相変わらず委員&係決めで時間が押す。
ひとつ引き受けてきた。
影響のあまりなさそうなところ。
それでも避けて通りたい人はいるわけで、長引く。
今度の教師は前年度とタイプが違う。今年の方がわたしに近い。
ムスメがかわいそうだなと思う。学校でも家でも同じようなタイプで。
それとも扱いなれていて楽だと思っているだろうか。
20日、強烈に晴れ。夏に近い。
バイト先の人が地方に行ったのでひとり。
ランチは「てんや」の天丼。
花天丼という期間限定メニューがあって、
桜鱒と桜海老が入っている。
天丼は自分では作らない。てんぷらの翌日は天とじ丼。
1000円以下で食べられるようになったのは「てんや」のおかげ。
帰宅したら、散らかった家の中にムスメとその友だち。
うーん、やっぱり先に出かけるとダメだなぁ。いいけどさ。
木曜日、晴れ。アルバイト先で豆大福をもらって食べた。
育った家からだいぶ歩いたところに大きな大きな豆大福を売っている店があり、
時々買いに行かされた。
今になってみると、おいしい店だったのだとわかる。
餅の塩加減、十分に煮てあって柔らかいのにつぶれていない赤えんどう。
甘すぎなくて肌理の細かい餡。
「揺れる」シリーズのピンをひとつ、預かってきた。
金曜日も晴れ。久々に茶を点てた。
吉野棚、柳緑花紅、花筏の棗、桜の茶碗。長緒で四苦八苦。
もう一度、吉野棚で薄茶。
未だに手順を追ってバタバタしているらしい。薄茶になるとぐっと手順がいい。
土曜日は、昼から銀座で展覧会を見て、
その足で渋谷に回ってレイモンド・ローウィを見てきた。
いい展覧会だった。日本との関わりも深いので、見ていて発見があって楽しい。
たばこと塩の博物館なので、入場料が格安。
カタログも安いので、なんだかとっても得した気分。
レイモンド・ローウィはやっぱり機関車が好き。
本当はインダストリアルよりグラフィックの人だと思うけど。
夕方から土曜日学校の打合せに行った。
ムスメが留守番するというのでひとりで置いていったけれど、
夜の長い時間の留守番は、
子供の気持ちの負担になるのを知っているから
やっぱりちょっとまずかったかなと思っている。
わたしも夜の留守番をしたけれど、あの頃は弟が一緒だったから
お互いになんとなく助け合っていたんだろうなと思う。
ムスメはこの夜、弟の関わっている番組が見たいと夜中まで起きていて
途中でとうとう挫折して眠った。番組は新しい発見があっていい番組だった。
日曜日は自宅の復旧。もう、復旧といっていいくらいの散らかり具合だ。
散らかっていることがイヤなのではないのだと思う。
アウトオブコントロールになるのがいやなのだ。
なんといっても物がありすぎ。
いくら減らそうとしても追いつかない。そろそろまた許容量の限界に達しそうだ。
シンプルに整理されている状態になるには、まず決断力を持つこと。
すばやく判断を下すには、心の中が整理されていないといけない。
わたしはどういう人か、何を必要としているか、
どう暮らしたいか、一番したいことは何か。
何かに書き付けて、折に触れて目にすること。
そぐわない部分が出てきたら書き直すこと。
なりたい自分になるために、何をしたらいいのか、何をしたいのか。
常に意識しておきたいと思う。
結局、身の回りをシンプルにしながら人生をシンプルにするのだ。
ついつい激しくなってしまったひとこと。
「ぜったいに、お金なんかに振り回されないわ!
そんなことになってたまるか。」
でも、思い切り知恵を使わないと暮らしは厳しいものだけど。
お金のあるなしに関わらず、お金に振り回されるのはイヤだ。
お金は使うものであって、
使った結果が自分の中に残る、その残ったものだけが大切なのだ。
金の延べ棒に換えて金庫にしまいこむのもまた、
お金に振り回されている状態なのだと思う。
ドーンと行きましょう。
墓場までは持っていけない。
このところの憂鬱にはイラクのことも関わっていて、
日本人人質事件以来考えることが多く。
いろんなことを言う人はもちろんあるけれど、わたしの中に怒りがあって、
それははけ口が見つけられずにわだかまり続けている。
決断と支持ということをぐるぐるぐるぐると考え続けていた。
結論は出ない。
この状態ではわたしが考えたということにしか意味は無い。
自分の信念が国家の足を引っ張ることになっても、
それをわたしは通すだろうか。
会議の席で、多数決で負けかけたときに、
「俺は認めない」と席を立つことはできるだろうか。
国会中継を見ているとやる人はいるようだけれど。
どれが正しいとは言えない。
どの決断も、視点を変えてみれば正しいのだから。
ここ数日ココロの状態がよくなくて、なんとなくここも書けずにいたんだけど
とりあえずケリはつかないけれど諦めがついたので復活。
なんか世を憂える気分もあったりして。
日曜日は千葉から来客あり。
ダンナは休み。土曜日も休みだった。
千葉の人は、空回り気味なのが問題なのだが、信頼してくれているらしい。
月曜日はもう暑いに近い1日で、バイト先を出て商店街に入ろうとしたら
12年ぶりの知人にばったり。
バイト先のごく近所に住んでいると知る。
火曜日は寝不足でどうも効率の悪い1日だった。
バイト先のHPを仮仕上げ。
いつまで経っても仮仕上げだなとちょっと自嘲気味。
水曜日は未だ寝不足がたたっていて、ダラダラすごした。天気は低調。
ダンナはきょうあたりから休みが無いらしい。
ということで、自分のためのメモでした。
近所の友人と宴会の約束。お酒を持って出かけた。
オトナの知り合いがどんどん増えていくことが少ない昨今。
地縁のある友人が増えていくのはいいことだと思う。
親の勝手でムスメを12時過ぎまで連れまわしてしまった。
困ったものだ。
季節の変わり目になると、片付けやすい。
スプーンは10本あってもいいみたいだけれど、フォークはせいぜい5本でいいみたい。
そんなことが見えやすい。
ちょっとだけ、分類してしまいこむ。
出す機会が無ければそのままいらないもの。
バザーやフリマに出しましょう。
木曜日、晴天。新宿の整体に行った。過労だそうだ。
ルミネの希須林でランチを食べた。
ムスメは恐る恐る日常に戻った。
ダンナは「だめな」の稽古が始まった。
「だめな~」というタイトルの舞台。
ダンナあてに「だめな図面」「だめな階段」というタイトルの添付が届き
いったい何がダメなのかと思っていたらタイトルだった。滑稽。
金曜日は暖かい1日で、暑いと思った人も多いだろう。
体温調節が壊れているのでありがたい。
頭痛がひどくて薬が効かない。うんざりしながらの仕事で効率最悪。
帰宅してすぐ2時間眠った。
だいぶ回復して頭痛薬が効くようになった。
1に睡眠、2に睡眠。
あしたはいい日になるだろう。
政変があろうと経済封鎖があろうと暴動があろうと天変地異があろうと
人々は日常を淡々と送るのみ。
いつの時代も、どの地域でもそうなのだ。隠れ家でアンネ・フランクは恋をしていた。
願いの気持ちは届くだろうか。
タイトルはわたしじゃありませんのでご心配なく。
ようやくきのうが始業式、きょうは二日目なのだが午前授業で給食が無い。
drug
午前中は知人宅へお届けものついでにお茶をごちそうになる。
この家は風の通る家で、物が少なくてスカスカ。いい気分で長居をする。
自転車で帰ってちょっとするとムスメ帰宅。
ランチはお蕎麦にしましょうか。
蕎麦好きなムスメで、「せいろ」が一番のお気に入り。
しっかり食べて彼女はアトリエに工作に。
ダンナと自宅にいたら電話。
お腹が痛くてヘルプの電話だった。
出すものは出てるし、お腹が痛いなんて言うのを聞いたこと無い。
迎えに行ったらベッドに寝せてもらって泣いたりうめいたりしていた。
自転車のうしろに回収して帰宅。重いよー。
家に帰って寝ても一向に落ち着かないので
いつもの医者は午後休診だしと、電話して初めての医者に行った。
歩けないというのでダンナに車を出してもらったところ、今度は気持ち悪いという。
とりあえず触診では悪そうなところは無いとのことで
(まあ、排便のいい子なので便秘ってことはない)
鎮痛剤の処方をもらって、またお迎えつきで帰る。
2回ばかり泡ばかりの嘔吐。
わたしだけ薬局に薬をもらいに行ったのだが、
結局吐いたのが一番良かったようで薬を飲まないで眠ってしまった。
疲れだろうと思う。
初めてのお泊り、深夜までの花見(とうさんのお供)、
お父さんと苦しいほど食べた回転寿司、新しい担任・・・・。
吐いて眠って、あしたは元気かな。
ダンナはきょうも在宅。きのうは事務処理だったらしい。
天気はいい、バイト。洗濯物は山になり、きょうはめでたく始業式。
弁当を作り、バイトに行く。
いろいろ思うのだけれど、いろんな意味で、白状するくらいならシラを切れといいたい。
シラを切るなら自分をだませと思う。
まあ、それはさておき。
本日もニョロニョロ君登場。
バイト先のホームページのトップページをかっこいいの作った。
つぎは未知の領域。どうなるかな。
人生に展開のためのポイントがあるとするなら、年末の占いには意味があったのだと思う。
地球ゴマは回転を始めた。
軸は動かないし、実にジミなのだが、そこには大きな推力が働いているのだ。
修羅場の中にも快感はある。心待ちにしている部分もある。
本日は本当にプライベートなオボエガキ。意味することが伝わるとは思えない。
土曜日の「僕らの音楽」を、知っている人が見てくれていた。
そのことがちょっとうれしい。
ささやかに。
さあ、月曜日。天気がいいとうれしい。
ムスメは春休み最後の惰眠をむさぼる。
ダンナも休みだそうで、ホイホイとバイトに出かけた。
バイト先には大きな桜があって、根っこは敷地にあるものの、
幹は半分隣の敷地にせり出し、花も半分隣の敷地に。
電線はあるし屋根は近いし、なかなか住宅地の桜も大変だ。
で、まだ蕾のうちにかなり大胆に切り刻まれる。
枝はアプローチや玄関に飾られるほか、
季節の便りとして近所の飲食店には重宝がられているようだ。
きょう、久しぶりにバイト先に行くと、床のカーペットに蠢くものが・・・。
うへー、桜の枝からニョコニョコくん登場。
うごめく芋虫状のものたちを回収。参る。
10匹以上回収したけれど、これでおわりだといいのだが。
ランチは書籍がほしかったので本屋方面を狙い、線路の向こうのダイナーへ。
アジア風のスープご飯を目当てに行ったのだが、きょうのご飯ものはタコライス。
タコスの具がご飯に乗っている。
初めてなのでそれがタコライスとしておいしいのかどうかわからない。
うーん、おいしいけどタコスのほうが好き。
そういえば、ドライカレーを初めて食べたときも
これってまずくないけどおいしいのかなーと思った。
この店はサービスがなんとなーく体育会系で、
サービスしてくれる人のいでたちとなんとなくギャップがあり気に入っている。
音楽もいい。きょうは、I shall be releasedなんかかかっていた。
ディランじゃなかったけど。
頭の中で、清志郎の日本語版がなり続けていた。
昔は緊急連絡は仕事場にかかってきて、
なんとなく周囲に「すみません」と言いながら受けたものだった。
デートの待ち合わせも友人との飲み会も、奥さんの「買ってきて」コールも。
いまや、お昼の誘いも子供のお願い事も夕食のリクエストも、デートのお誘いも
みんなデスクにいるわたしの携帯電話に飛んでくる。
そして、携帯電話ならどんな片隅にでも引っ込めるので
誰かに聞き耳立てられるわけでもない。
もちろんメールならデスクでも見られるかも。
便利になったとも言えるし、「いつでも出られるはず」なのは、
いろいろぶっちぎりたい気分の時にはちょっとね。
あ、電源切っておけばいいのか・・・オフィスにかかってきたりしてね。
ダンナ、3日休み。4日は打合せ一件。
きょうは天気が悪い。きのうはパリパリの晴天だったので洗濯三昧だったのに、
きょうはシーツやタオルなど洗いたいものがあったのに雨模様だ。
土曜日は買い物にも行かずに過ごす。本を読んだりムスメと遊んだり。
大量の洗濯物、冷蔵庫の整理。
日曜日はムスメもダラダラしていて、
お小遣い帳のリスタートをして、夕方髪を切った。
土曜日深夜の「僕らの音楽」は思った以上にいい番組だった。
ヒットの曲で番組を作るというのではなく、
ミュージシャンに密着してヒット曲を紐解くというやり方。
ゲストは平原綾香で、鳥越俊太郎のインタビューは
いままでの番組MCのインタビューと視点が違って面白い。
30分なのに贅沢なつくりだし、NHKの「冬のソナタ」の裏だし、
なんだかもったいないなという感じだ。
日曜日はNHKで「火の鳥」のアニメを見た。
ムスメが2時間以上も前からソワソワしていて面白かった。
相変わらず最近の彼女の話題はもっぱらポケモン。
ついていけないんだけど、なんだかずいぶん憶えた。
憶えたくも無いのだけれど、
「わかってくれなくてもいいからとにかく聞いて」なんだそうで、
これはこれで門前の小僧。役にも立たないけど、新知識を仕入れては教えてくれる。
31日に漬け込んだローズマリーは、しっかりかおりが移った。
スクワランオイル、成功なんじゃないかな。
摘んだ枝先を使ったので(わたしのローズマリーはまだ盆栽状態なので)
ちょっと青臭い感じもある。
スクワランオイルは擦りこむと肌にしみこむようで気持ちいい。
最初はバージンオリーブにしようかと思ったのだが、
手持ちのスクワランオイルを使ってかえってよかったかもしれない。
朝、洗顔のあとに使うつもり。ほとんど化粧をしないのでこれがいい。
わたしの持っている「たのしいムーミン一家」は
昭和40年代に出版されたものでとても古い。
ムーミンの全集ですらなく、まっ黄色の背表紙の本だ。
そして、どうしてこうなったのかわからないけれど、
トフスランとビフスランは、名前がちがう。
シングミイとボブという。
最近まで気づかなかった。
去年、一時期ムーミンを続けて読んだのだ。
わたしは「ムーミンパパ海へ行く」が好き。
孤独と偏愛の物語。
あれば便利だけれどなくても困らない、
もしくはちょっと工夫をすれば乗り切れることが多い。
ボウルが足りなければ、使っていない丼を使えばいい。
毎日使っているからといって必ずしも無くては困るものでもない。
もしも家が狭くて困ると思っているのなら、
旅行者になった気持ちになってみてはどうだろう。
きっと、持っていなくても困らないものがたくさんあるはず。
朝から曇り空で雨が降りそうなのに、とうとう1日降らなかった。
明日から瀬戸の展覧会なので準備。
わたしは東京番なので行かないけれど。
ランチはクマリでダルカレー。
仕事を終わって帰宅すると、仕事に行っているはずのダンナが在宅。
またおサボリですか・・・。
まあ、通常が激務なのでいいけれど。
お疲れだよね。
家でムスメの掛け布団にくるまってゴロゴロしていると、
昔の社長から電話。
ちょうどよかった。連絡取りたかったのだわ。
最近タイミングがいい。
友人宅の電話番号を教えて、社長の電話番号と住所を教わる。
6月の展覧会の案内状を送りたかったのだ。ラッキー。
この人は、今は中原淳一のグッズを作ったりしている。
今年の浴衣企画なんかしてるのかなー。
浴衣用の小物なんかほしいなぁ。中原淳一プリントで。
明日あさっては休日だ。なんだか眠いのでうれしい。