2004年04月15日
決断の重さ
このところの憂鬱にはイラクのことも関わっていて、
日本人人質事件以来考えることが多く。
いろんなことを言う人はもちろんあるけれど、わたしの中に怒りがあって、
それははけ口が見つけられずにわだかまり続けている。
決断と支持ということをぐるぐるぐるぐると考え続けていた。
結論は出ない。
この状態ではわたしが考えたということにしか意味は無い。
自分の信念が国家の足を引っ張ることになっても、
それをわたしは通すだろうか。
会議の席で、多数決で負けかけたときに、
「俺は認めない」と席を立つことはできるだろうか。
国会中継を見ているとやる人はいるようだけれど。
どれが正しいとは言えない。
どの決断も、視点を変えてみれば正しいのだから。
今回のことで、頭に浮かんだのはクロクワ川の中州で台風情報があったのにキャンプを張り、寝ている子供たちを起こすのはどうかといっているうちに、結果水に呑まれそうになった人々。わたしたちが高額の給与を支払っている人々が長い時間をかけて軋轢あって派遣を決めた自衛隊。このためにどれだけたくさんの時間をこの人たちが使ったろう。行ったり来たりの飛行機代、長時間にわたるであろう国際電話。その他いろいろを考えると、自己責任レベルの遭難救助が有償であるなら、なぜ今回が、と思ってしまう。善の方向への信念があればイノセントであってもいいわけではない。そのことが重たい。わたしの怒りの原因のひとつでもある。とはいえ、わたしは自衛隊派遣に賛成なのではない。チャンスさえあれば帰って来るべきだと思う。いっしょくたにして語るべきではない、語るレベルに達しているものではない。達人たちが山支度で登る山にスニーカー&ナップザックで登る人とどこが違うのか。そんなレベルの話に大金と長い時間がつぎ込まれたことに怒りを感じる。それどころじゃないのだ、日本の国の状態は。
Posted by: りりこ : 2004年04月16日 19:15善意って難しい。
確か芭蕉は、旅の途中で、飢えていたのかなぁ、非常に困っている子供と出会うけど、見捨てて旅を続けるんだよね。
自分だけが満足するのは善意ではない。
ただ、他人が判断できる問題でもないね。直接話がきけるわけでないから。
あの三人は、助けにいくはずだったんだけど、自分たちが助けられたわけだから、それはよく考えてほしいよね。
お金の問題の方は、イラクと仲良くなれれば、おつりがでるかもよ。
あれだけの時間とエネルギーとお金と、何より気持ちをかけたらもっと他のことができたんじゃないか・・・、できないかもしれないけどできたかもしれないという、そういう苛立ちがずっとありますね。
自衛隊派遣を必ずしも良しとはしないし、あの3人とご家族関係者の感情はわからなくないのに、最初から不快な感じがつきまとっていたのでした。
ただ、無事じゃなかったらもっと不幸でもっとも不快なことになったと思うので元気な映像は心から嬉しかったです。
Posted by: kaze : 2004年04月17日 00:11