きょうも晴れ。ムスメの枕を洗濯したら、ネットに入れたのに爆発して大惨事。
まあ、中身が化繊綿だったのでまだいいけど、洗濯機の中全体に綿が。
当然いっしょに洗った洗濯物も大被害。
あすから旅だというのになんということか。
ダンナはなにやら調子悪いらしく、仕事を無視。どひー。
ムスメのバトンのビデオは無事見られた。
柚餅子をひとつずつ和紙に包んでつるした。
久々に壁の時計を拭いたら、タバコのヤニで悲惨なことになっていた。
ムスメが喘息でも、ダンナはタバコがやめられない。
ムスメのふとんを干したら、くしゃみが止まらない。
わたしはアレルギーではないのでいいけれど、ムスメは喘息から鼻炎に移行中。
アレルギー値はかなり高いので、なにかと面倒だ。
今年も年賀状は書かない。
だいたい、年内なのに「新年おめでとう」と書き、
今年の抱負はなどというのが子供の頃からイヤだった。
年末年始の不在をいいことに、年が明けてから返事を書く。
わたしとムスメは先に旅立ち、1日からダンナ合流。
3日はダンナの運転で帰宅の予定。
掃除もしていないくせに、正月飾りだけはしっかり済ませた。
来年はもっと理想の生活に近づきますように。
旅先には接続環境がないはずなので、来年までさようなら。
阪神大震災の後、買うことが馬鹿らしくなったと言った人がたくさんいた。
あの人たちは、いまどんな風に暮らしているかな。
例えば、フローラ・ダニカ(ロイヤル・コペンハーゲン)をコレクションしたとして
それを十分に使い、それを介して人と楽しい時間を過ごし、
自分自身が満足できる楽しい体験をしたならば、
物としての食器コレクションが失われてもいいじゃない?
もちろん残念ではあるけれど。
その場で自分のできる一番の体験を自分に与えてやる。
貧しいなら貧しいなりの、豊かなら豊かなりの体験を。
もしも政情不安な国だったり自然災害の多い国だったなら
知識や技術を身につけるほうがいいお金の使い方かもしれない。
自分の中に蓄積したものは、生きている限りなくならない。
よい体験をたくさん詰め込みたいと思う。
そのための物ならば、手に入れるのもいいだろう。
おいしいものの記憶や、楽しい時間の記憶を大切に。
どんなにお金が不自由であっても、そういうものなら手に入れられる。
塩むすびのおいしさや、おひさまの暖かさ、子供の笑顔。
そういうもので幸せになれる自分でありたい。
夜寝るときに、雨がしきりに降る音がしていた。
朝、目覚めると雪。初雪だ。きりりと冷たい空気が気持ちいい。
空は打って変わって晴れ。
ダンナは青山劇場の仕込。
ムスメはきのうは友達と映画に行って疲れたらしく、遅くまで眠りこけている。
きょうも朝から洗濯。午後からとなりに引っ越してきた人がある様子。
あさってから家を空けるというのに、いっこうに片付かない。
毎年こんな感じで年を越してしまう。今年も同じようだ。
ムスメは風邪を引いたらしい。寒い寒いというので強引に寝床に押し込んだ。
blogの日記もきょうはお休み。
今はみんなバラバラに引っ越してしまったので素敵なサイクルは壊れてしまったが
一人で暮らしていた頃に、
なんとなく不思議な物々交換で暮らしていたことがある。
ある日帰宅すると、ドアノブに大きな花束がさがっている。
スタイリストの友人が、撮影で使ったからと持ってきてくれたのだ。
ある日はわたしがジャムを作ったからと彼女の郵便受けに入れる。
装飾に使ったクロスがあまったからと近所の写真事務所から布が届き、
それをスタイリストさんにあげると、その一部がポーチになって戻ってきたり。
あの頃、歩いていける範囲に住んでいた友人・知人とはずいぶん物々交換をした。
きれいなポストカードやキャンドル、
おいしいシチューやクッキー。
大量のラッピングペーパーが届いたときには
クリスマス近くだったので、デコレーションをたくさん作り、
一部をくれた人にあげた。
美容師のタマゴが髪を切ってくれて、お礼に夕食を食べていってもらったり、
縫い物の得意な友人に我が家でカーテンを縫ってもらって、
やっぱり我が家で夕食をしていってもらったり。
今、田舎に住む母のところには野菜が届いたり、
母のほうからは布で作った小物を届けたり。
自分の得意範囲で、できることをしてあげる、
そんなセイカツはお金がかからなくて楽しい。
最近そういうのがなくなってちょっとさびしい。
また、ステキなサイクルを作っていきたい。
きょうも晴れ。
きのう、新宿に出たついでに高速バスの切符を買った。
実母は八ヶ岳高原に独り暮らしだ。そこへ行く。
年末年始は寒い寒い場所で過ごす。
大人になって訪ねていく親戚ができ、なんだかウキウキする。
親戚一同東京で、
子供の頃は「夏休みにおばあちゃんの家に行きました」みたいな作文が
とてもうらやましく思えたものだ。
東京生まれの父親は、八ヶ岳で死んだ。
兄弟&友人一同老人なので、母と子供たちだけで通夜をした。
しみじみとしたいい夜だった。
それから一年半、バタバタとすぎ、今年の正月はなんとなくめでたい。
29日のバスで向かい、帰宅は3日夜の予定。
高速バスは、いまはインターネットで予約できる。
席の混み具合もその場でわかるし、予約しておけば窓口で切符を受け取るだけ。
後ろに並んだ人たちのイライラした視線を浴びることもない。
便利になったものだ。
最初にsimple pleasureというタイトルでサイトを作ったのが
2000年の夏だったから、ずいぶんこのフレーズに凝っている。
根源的にハッピーになれるもの、
おいしいもの、きれいなもの、気持ちいいこと、
そういうことを探してみようという気持ちで始まった。
一日をふりかえると、なんだか疲れた一日でも、
そういう小さいハッピーはたくさんあるはず。
それを忘れないでおこう。
自分を喜ばせることが上手になろう。
そんな気持ちでいる。
きょうは朝からきっちり忙しい。
バタバタバタとやっているうちに、終業式のムスメが帰宅。
朝はサンタのプレゼントでひと盛り上がりあったのだが、
帰ったら成績表。いそがしいことだ。
12時ごろ実家の母と新宿の整体に行くために駅で待ち合わせていて、
バタバタのままでかけた。
新宿駅に着いたら、人身事故があったとかで電車が止まっている。
結局50分ばかり待った。
整体でボコボコになったあちこちを直してもらった。
直してもらってちょっとすると、ジンジンジンと打ったところに痛みが。
ちょっと無理してはいた靴がつらくなる。
新宿でランチをするのに気に入っているレストランがあったのだが、
いつの間にか店が変わっていた。
以前はランチ800円から1200円くらいのイタリアンを出していたのだが、
550円から850円のセルフの洋食屋になっている。
お気に入りが消えてちょっとショック。
帰宅すると睡魔が来て、ちょっと横になった。
ムスメのもらったプレゼントは、解説ビデオのついたバトンなのだが、
ビデオがめちゃくちゃ画像が悪く、一度巻き戻したら音しか出なくなった。
あしたは「お客様相談室」に電話してみるつもり。
楽しみにしていただけに、ムスメはがっかりだ。
サンタのプレゼントなので、買った店不明・・・?
わたしは料理の本が好きで、たくさん持っていた。
一人暮らしの楽しみだった。
もちろん料理も好きだけれど、食器のコーディネイトや盛り付けが
ずいぶん参考になったと思っている。
自分にとって今が旬だという料理家が、たいていいつでもいた。
その人の本を買ってきた。手放すことはないと思ってきた。
ところが部屋が片付いてきて、不要なものが減ってきたら
ある日突然、たくさんの料理の本を卒業したことに気づいたのだ。
大切にしていた本だったので、
ブックオフのように中身の評価をしてくれない店に売る気にはなれず、
料理の本に熱心な古本屋に心当たりもない。
というわけで先延ばしにしてきたが、Amazonマーケットプレイスに出会った。
そこでは買いたい人と売りたい人が直接出会うことができる。
高い値段で売りたいわけではない。欲しい人に売りたかった。
だから、値段はかなり安くつけたつもり。
どうやら欲しがっていた人に届いた様子で、わたしも郵便局通いが苦にならない。
天気はいい。暖かい。
love's drug.
きょうから給食がない。
生協。
ダンナはC-COMだ。
ネットでオンラインひとりゲームにはまり、時間を取られた。
文房具屋に紙を買いに。どうも好きなのがない。困った。妥協。
晩御飯は一応クリスマス仕様。ローストチキンとポテトサラダ、トマトサラダ。
そしてケーキ。今年はfujiyaのチョコクリームのブッシュドノエル。
考えただけでもお腹一杯だ。
いつもはけっこう残るローストチキン、今回はほとんど食べきった。
ムスメは食べ過ぎて、ケーキがふたくちくらいしか入らない。
ムスメがblogを書きなれてきたので、そろそろチェックはしない。
わたしも読者として楽しむことにする。
まだどこまで書いていいものかの判断があぶなっかしいけれど。
このところ、NHK総合で映像の世紀を放送している。楽しみだ。
「現代」は、検証されなくてはならない。それは「土台」だから。
さて、大量の片付け物を。デロデロに汚れたテーブルクロスが憂鬱だ。
とはいえ、いい夜を。いつにも増していい夜を。
クリスマスイブだからというわけではなく、
だれもが眠りにつくときにはしあわせでいてほしい。
クリスマスにはローストチキン。
毎年丸鶏をオーブンで焼く。
ここ数年、いつも食べきれないからとフィリングを作らないできた。
それまではハーブとパンを詰めたり、バターライスを詰めたり。
フィリングを詰めなくても鶏はつぶれはしないし、十分においしいと思ってきた。ところが。
ひさびさに、今年は
にんじんのすりおろしをたっぷり入れたバターライスを詰めてみた。
いつもより(夫の好みを無視して)ちょっと低めの温度でちょっと時間長め。
ああ、ことしのチキンのおいしかったこと!
鶏のジュースを吸い込んだフィリングもよかったが、
バターとニンジンの香りがチキンにもしみこんでいた。
やっぱりフィリングがあったほうがいいみたい。
これだけ内側から香りが沁みるなら
来年はハーブのピラフを詰め込もうかと思っている。
(すでに来年の話。いや、ムスメの誕生日にしようかな。)
キリストが誰かは知らなくても、この日はサンタクロースがやってくる日。
日本にもサンタクロースがいるんだそうだ。
新聞によれば、きょうは、一分間に二千軒の家を回るのだそうだ。
そりゃあ、目にもとまらない速さだろうね。
だれもホンモノのサンタクロースを目撃したことがないのはしかたのないこと。
サンタクロースのことを考えるのもいいけれど、
ちょっとだけ、あしたが誕生日のキリストのことも考えよう。
わたしはキリスト教徒ではないけれど、彼はなかなかいいことを言っているようだよ。
Rejoice!よろこびなさい。
ダラダラと寝床にいて、ムスメとダンナが朝ごはんを食べているのを聞いた。
終わった頃合にゴソゴソと起き出したら9時過ぎ。
10時までスーパーでメダマ商品があって、きのうジミに直した自転車で行った。
思いっきりクリスマスの店内。メダマ商品と今夜のおかずだけ買ってさっさと帰宅。
ムスメは鍵をかけずに図書館へ行ってしまった。
帰宅すると鍵が開いていたので、「誰か居ますか?入りますよ~」と
一応大きな声で宣言してから入室。なに事もなし。
帰宅してから朝食をとり、あちこちに手紙を書いて
きょうはほとんど何もしなかった気分。
夕方から一年に一度の柚餅子作りをして、蒸したあと冷ました。
毎年クリスマスイブにはサンタに捧げるクッキーを焼くのだが、
あしたはバタバタしていそうだしどうしようかな。
ここ数ヶ月、シンプルライフを念頭においていろいろ手放してきた。
結局はあまり使っていなかったものが多い。
本もずいぶん減ったが、一向に困らない。
困らないということは、無くてもよかったのだ。
わたしはそれらのメンテナンスから解放され、ちょっとは気持ちも軽くなった。
大事にしょっちゅう使っていた物は、最初から不要だったのではなく、
それを使う生活を卒業したということなのだから
買ったことを後悔する必要は無い。
食事をしたら、排泄する。
同じように、必要が無くなったら手放す。
それだけのことなのだ。
冬至の夜は柚子湯。ふわっと香る柚子の香りに包まれてシアワセなバスタイム。
だいたい冬至ごろ、毎年恒例の柚餅子を作る。
毎年手元にあるタネ類と味噌をあわせ、
柚子釜に入れて蒸し、乾かしてからひとつずつ和紙に包んで寒風に晒す。
今年は寒さが定着するのが遅かったので、いつもより遅くなった。
寒い地方ならもうちょっと早くから準備できるのだろう。
もともとは信州あたりのものらしい。
立春ごろ、おろして、薄く切って酒の肴になどする。
今年は白味噌と赤味噌をあわせ、味醂を少々、柚子の絞り汁少々、
松の実たっぷり、クルミ少々、そこに七味唐辛子をたっぷり入れた。
毎年出来具合が違う。今年の柚餅子はどうだろうか。
ゆうべ、いきなりダンナ帰宅。わたしのメモしたスケジュールが間違っていたらしい。
ともあれ、帰ってくると安心するもので。
朝から後始末でマイドとどっかに出かけたので、午前中から歩いてスーパー。
銀行に行って記帳するも、先月は収入がなかったことが発覚。
なんだよー。年末年始はどうするのか。月末の家賃は支払えるのか。
ある意味ワクワクドキドキだ。
またも自分の最後の貯金から今月の生活費を出す。残り少ない。
まあ、なんとかなるでしょ。
数ヶ月ぶりに、家族で外食に出かけた。
近所の居酒屋風の店だがおしゃれなわりに気取りがなくいい感じ。料理も合う。
安い予算でいろいろ頭を使ってやっている感じが見えて愛着を感じた。
なにしろダンナは土日は仕事だし、子供と遊ぶという時間がない。
彼が主導権を持って楽しめるのは外食くらいなものなのでいいことにしよう。
北海道のシシャモ(雄)がとてもおいしい。テールと大根の煮込みもいい。
サラダのドレッシングもおいしいし、
料理についてくるタレや薬味にも工夫が感じられる。
食べて飲んだわりには安く上がった方だと思う。
満腹して、ダンナは9時前に寝てしまった。お疲れのようだ。
あしたも朝から深夜まで仕事だし、寝られるときには寝るのが一番。
19日、お茶に行き、やはりメンバーで雰囲気が激しく変わることを実感。
帰途、ぼーっとして自転車ではげしく転倒。
自爆だったことと、ひと気のない場所だったため
ゆっくりと起き上がり普通に帰宅するつもりだったのだが、
自転車のペダルを漕ぐと異常音が発生することがわかり、押してかえる。
右足に傷はなかったものの、歩くたびに血の充満する感じがあり、帰って見たら内出血。
その日はインドメタシンの軟膏など塗り普通に過ごした。
20日、朝起きたら足がかなり膨れ上がっている。とはいうものの痛みは打ったところにしかなく、
どうやら内出血だけの症状らしい。
体のほかの場所の痛みが出てきていてそちらの方がつらい。
肩を打ったらしいとかこぶができたとか。
とにかく情けないのは靴が入らないことで、
カジュアルウェアにタビックスと下駄。
はだしだと寒いのでタビックスなのだが、いじわるばーさんみたいだ。
まあ、普通に過ごす。
ダンナ不在のうちに掛け布団を洗ってしまいたいので、
また一枚洗って干す。
買い物も大量に買う気にならず、すぐいりそうなものだけ買い足して帰宅。
夜は白菜とタラの鍋に豆腐ときのこ。鍋の汁で卵雑炊。
ムスメが金曜日からHPを作りたいと言い出し、更新が続けられるようにblogの分家を作った。
給食やおやつのことを書きたいと言う。さすがわたしの子だ。
食日記を書いていた時期があるのだが、
ダンナが嫌がったのとPTAがらみの知人にばれたのとで放置サイトになっている。
まあ、ムスメのすることなので、ダンナは何も言うまい。
とりあえずは一日を振り返ってみる機会としてはいいんだろうと思っている。
21日は惰眠をむさぼり、目が覚めたら10時近かった。
ちょこまかした片付けと読書。
もう一枚布団の洗濯。
内出血は足の甲全体に回ってしまったが、
黄色くなりかかっている部分もあり、
そんなにひどいことにはなるまい。
足指のほうまで内出血するとは思わなかった。指3本途中まで青い。
足裏がくっきり白いのがおかしい。
2ヶ月に1回くらいの割りで冷蔵庫の掃除をしている。
夏はもうちょっと頻度が多くなる。
我が家の冷蔵庫は350リットル。
常時半分くらいしか入っていないので、もうちょっと小さくてもいい。
冷蔵庫が大きいと死蔵品が多くなるのに気づいたのは、
数年前に壊れた450リットルの冷蔵庫を使っていた頃だ。
二人暮しの頃から450リットルを使ってきたのだが
なんであんなに大きいのが必要だったのか。
冷蔵庫の掃除をするときには一段ずつ中段をはずすので、
中のものを移動しているうちに自然と死蔵品のスクリーニングができる。
以前は野菜室で必ず「危険物」を発見したが
今や食べられないものを出してしまうと言うことがなくなった。
やはり、見通しのいいのが一番の理由だろう。
冷凍庫も掃除するので、何年も保存するということはなくなり、冷凍臭からも開放された。
都会に住んでいる分には、冷蔵庫はスカスカでいい。
冷蔵庫の掃除は、はずせるものは全部はずしてひとつずつ水洗い。
本体は水拭きしたあと、コットンに含ませたエタノールで拭き上げている。
揚げ物・炒め物の多い家なので、油断すると冷蔵庫の上はベタベタになってしまう。
エタノールですっきりさっぱりになる。
別に「合成洗剤を使わない」と意気込んでいるわけではないが
二度拭きや仕上げ拭きが面倒で今のやり方になった。
どうやら、冷蔵庫の中身も掃除法もシンプルがいいようだ。
なんか、自爆事件で興奮と落ち込みが順にきて、
なんだかいろいろ滞ってしまった。
また布団の洗濯をし、その他洗濯。
ムスメのブログを設定しているのだが、一度うまく投稿できたのにそれきりうまく動かない。
困ったものだ。
その後ちゃんと設定できた。どうやら稼動しているようだ。
コドモはわたし以上にあきっぽい生き物なので、どのくらい続くものか。
それでも、文章を書くというのはいいことなので、
コメントでもつけて応援してやろうと思う。
タイトルは「はるごはん。」と言う。
自転車でぼーーーーっとしながら走っていたら自爆!
足を挟み、チェーンカバーをつぶし、頭を打った。
ドガベキグチャ・・・。
情けない年の瀬。
しばらく靴が辛そうだ。
捻挫までは行かないが、奥の方で腫れているらしくて足の甲が膨れている。
どうする、どうする。
チェーンカバーの潰れを直さないと、
ギヤが当たってガラガラいうしさ。
寒いのに面倒。明日晴れたら日なたで修理しよう。
木槌とタガネがある家庭ってのも珍しいでしょ。
連日晴れ。
17日はトイザラスの受け取りをした。掛け布団の洗濯も。
生協の担当者がどうにも間が抜けていて相性が悪い。
表現力のなさというのがコミュニケーションを阻む。
やっぱり、表現だけはしっかりできるようにならないと、
外国どころか日本の中でも孤立して刺されるもしくは刺したくなるぞ。
18日も晴れ。普段手の回らない些細な場所をチマチマ掃除してみたのだが
薄皮をはぐようにきれいになった感触。
「垢抜けた」という感じだ。
自分の方も磨いてちょっと垢抜けないと。
三沢彫金工房の案内状届く。
デザインの開眼がバウハウスだったわたしは、アール・ヌーボーは古臭く感じる。
でも、この工房の造形の確かさは好き。
案内状もたくさん入っていたので、少し配るとしよう。
日本的だなと思うけれど、一番のもてなし、一番の「きちんと」は、
清潔・清浄だと思う。
反・「きちんと」としての、「定着した埃もきれい」ももちろんいいけど、
時々無性に「ピカピカ」を目指したくなるときがある。
そういうときに、日本の家は「清潔・清浄」に向いていたなと思う。
襖も障子も、毎年のように張り替えて使う。
畳表も張り替える。
日常的に拭き掃除がある。埃を払い、箒で塵を集め、雑巾をかける。
ただし、日本的な掃除を毎日可能にするのは
何も出ていない暮らしだ。
収まるところにすべて収めて、床には何もない暮らし。
それは理想であって、実現できることではないかもしれないが
なんとなく、頭の隅に理想の形としてポストイットに書いて貼り付けてある。
これがホントにこのカテゴリでいいのかは疑問の余地あり。
はじっこ物を食べるのが上手だと自負しているわたしの
捨てられないものをなんとかするメニュー。
追記追記でいくので、新しいエントリーは立てませんが、
編集日付をたまに更新しますので時々上に上がる予定。
最終更新:031223
・納豆のたれ
納豆は生醤油が好き。でもあのチビたたれが捨てられない。
で、一本の瓶に溜め込んでいる。
お弁当用の卵を焼くときとか、煮物の醤油の補いとか、チマチマ混ぜて使い切る。
白粥を作って、納豆のたれを薄めて片栗粉であんにしたものをかけたりすると、
深夜にお腹がすいた人が居ても腹が立たなかったり。(031217)
・刺身のわさび
ダンナは刺身を買うのが好きだ。
仕事帰りのスーパーには30%引シールが貼られた刺身が並び、
どうにも抵抗できないらしい。
で、生わさびもあることが多いので、あのミニパックのわさびが残る。
鶏の笹身に塩して、パックのわさびを塗って魚焼きの網で焼くとおいしい。(031217)
・大根一本使いきり
最近は葉までついているものも多くなった。
昔はこうだったんだけどね。
大根おろしに、サラダに、煮物にという使い方はご存知だし、
王道なので書くとしたら別エントリー。
大根の葉は、適当な長さに切って茹でる。
葉が心地よく茹ったところで火からおろして冷やす。
葉だけむしって、きゅっと絞って塩と白ゴマたっぷり。これで菜飯にする。
茎も細いところだけならいっしょでいいと思う。食感の変化があったほうがいい。
太いところは軽く湯通ししてある状態なので、炒め物なんかに便利。
皮をむくときには大胆に厚く剥いた方がおいしい。
剥いた皮は短冊に切って花山椒や糸唐辛子と醤油に漬け込んだり、
ざるで乾かして切干みたいにしてから煮物に使う。(031218)
・もらいもののお茶
自分の味覚に合わないお茶をもらうこと、ありますね。
早めに使ってしまいたい。そのまま捨てるのはいや。
普通にお茶として飲むのはつらいので、
アイス(水出し)にすると違った味わいで飲めます。
お茶パックに入れてボトルに入れ、水を注いでおくだけ。
さっさと使い切ってしまいましょう。(031223)
長いこと「朝のリレー」にしていたスクリーンセーバーだが、
最近新しいのに変えた。
きょうの日付が、平日は黒字、休日は赤字で
大きくなったり小さくなったり変形したりしながら
ゆらりゆらりと画面を移動する。
時々フォントが入れ替わる。その動きもいい。
ふわぁんと次の数字が入ってきて、いっしょにゆらゆらしたかと思うと
余分のひとつがポーンと画面から消えていく。
きょうって何日だっけ、というのは主婦だけの迷いかもしれないけれど、
このスクリーンセイバーにしてからはそんなことが減ったような。
デザイン集団D-BROSの作品で、「Moodays」という。
下のリンクからダウンロードできる。
D-BROS Moodays
ついでに、オンラインショッピングもできるプロダクトの紹介ページも見てね。
素敵なものがたくさん見つかるから。
なんだか家の中が荒れてきたのは主が不在がちだからだ。
一人で暮していたときはどうして家が荒れなかったのかよくわからない。
でも、家族で暮すようになって、
誰かが不在だと家が荒れるようになった。
きょうは久々に押入れの整理。
以前は必要だと思えた服が、また2枚要らないと思った。
思い切って裁断して、小さな袋にしてしまおう。
圧力鍋が、完全沸騰する前に蒸気が漏るようになった。
パッキンがもうだめなのかなぁと思うが、
小学生の時には家にあった圧力鍋なので、
パーツがあるやら心配になった。
メーカーの電話番号は、当時とは変わっているようだ。
電話をして出た男性に、症状を話してみた。
パッキンを換えたほうがいいという。
「だいぶ古いのですが」というと取っ手の色を聞かれ、
この色のシリーズの部品ならあるという。
うちの圧力鍋だって、今そのメーカーの出しているデザインとは
まったく違った形をしている。
今の形になってからでも15年は経つのではないか。
取っ手の色が違うシリーズで、物によってはパッキンがもう在庫がないというのだ。
在庫がなくなった圧力鍋は、いったい何年前くらいに売ったものなのだろう。
掃除に使うらしい付属パーツのこと、クッキングブックのこと、
掃除の仕方など、いろいろな質問をしたのだが、
最初に電話をとった男性が何もかもすらすらと答えてくれた。
今は絶版になったらしい、その鍋を使った料理書のこと、
今はないわたしの使っている容量の鍋の付属品のこと。
カスタマーセンターがあるわけではない。
会社の代表番号にかけて、その男性が出たのだ。
なんだかとても気持ちよく、感謝して電話を切ることができた。
カスタマーセンターの外部委託もいいけれど、
長く長く使い続けられるはずの商品なら
ずっと修理パーツを売ってくれること、
そして、商品を愛している人が電話の応対をしてくれること
それがとても大切なのだと思わされた。
15日晴れ。なぜか二人しかいないのに大量の洗濯物。
忘れ物をとりに阿佐ヶ谷へ。
またもコーヒーをいただいて人の時間を奪う。
それでも、いろんな人と会うのはうれしい。
郵便局で本発送。20冊の本を手放したことになる。
銀座へ。買い物をして、新居へ。
赤、ピンク、オレンジ、紫の踊る絵は、ハッピーに満たされている。
でも、どこか攻撃的なものを感じる。
青山へ。天井の高いコンクリートのギャラリーで、ワクワクするものに出会う。
展覧会のメモを書くときは心が動かされたときなので、
良かったことばかり書いているように思えるけれど、
心が動かなかったときには書かないのだから仕方ない。
最近はいいものに出会っているということだろう。
ムスメの帰宅直前に家に着いた。気づくと昼食を食べていない。
残りご飯で中華粥風にしてみた。
忙しい一日で、このところ家を空けがちなのであちこち家事がほころびている。
「お茶の箱 5人展」
を見てきた。
始まる頃から気にかけていたのだけれど、やっと時間ができた。
きょうは最終日だ。
魅惑のミニアチュア。
日本人の血の中には、ミニアチュアの文化が根付いているとしか思えない。
箱庭や盆栽など、まるごと小さくしたものだけでなく、
岩や苔で表わした山水や、砂と石だけで流れや澱みを思わせる枯山水など
大きな自然を一定の枠の中に封じ込める文化が伝統的にある。
おままごとセットのような小さい茶箱セットを見たとたんに胸が騒いだ。
お茶の稽古を始めて、まだそんなに経っていない。
茶箱の稽古をしたのは何度だろう。
小さな箱に薄茶のセットを詰め合わせて、玉手箱のように取り出して点てるお茶。
自在になったら、ぜひ野に出て遊びたいと思っていた。
ずいぶん自由なつもりでいたのに、
きょうの展覧会でまだまだ自分の囚われた枠に驚かされた。
まだまだ自由になれる。もっともっと自在になりたい。
完全に様式にのっとって、しかも自由闊達な道具組みに
圧倒される思いだった。
13日晴れ。洗濯をたっぷり。昼から学校へ。
簡単なパーティーなどして、帰宅。
ダンナ旅に出発。夕刻遊びに出かけた。
おみやげを持ってギャラリーに行き、
近くの知人を呼び出してカフェでコーヒータイム。
古い知り合いと再会して、おしゃべりに参加。
寒風の中ムスメと帰宅。
14日はゆっくり起きて、片付けなどして過ごす。
まじめに展覧会レポ(わたしの覚書用ですが)。
夕刻光が斜めになる時間、
かすかな音を立てて散り続ける黄金色した銀杏の葉。
急に香りに包まれてあっと思って見る
足元に掃き寄せられた金木犀のオレンジのむっくりした塊。
野原でうつぶせに寝転がって間近に見た、なずなの小さな三角した葉の丸み。
まあるく刈り込んで並ぶ生垣の、犬柘植の硬質でちいさな葉。
そんな懐かしさを持つものがそのままに、
アクセサリーの形になって並んでいた。
白いギャラリーの壁に並んだ白い陶のディスプレイは、
雲のように柔らかくも見え、
日なたの土手のふくりふくりと柔らかい土の塊のようでもある。
ひとつひとつに包まれるように、青みを帯びたケシ金のアクセサリーが並んでいる。
手にすればずしりと重く、ゆらりとひとつひとつのパーツが揺れる。
蜂蜜色した金の照り返しの光と、燻したシルバーの鈍色の光。
ざらりと重たい、びっしりと柘植の小さな葉の並んだネックレスを、
真っ黒の衣装につけてみたいと思った。
または深い緑の柔らかな素材の服の上に。
やわらかい光と、さらりとしたそよ風を感じる展覧会。
できることならギャラリーに断った上で、
手にしてその重さと揺らぎを、丸みの豊かさを感じて欲しい。
12月6日(土)~22日(月)11:00~19:00(9、16日(火)休)
煌翔(こうしょう)
中央線阿佐ヶ谷駅徒歩5分,丸ノ内線南阿佐ヶ谷徒歩2分
杉並区阿佐谷南3-2-29
tel:3393-6337
fax:3393-6338
11日雨。朝から用事を済ませ、買い物をし、昼前阿佐ヶ谷へ。
展覧会を見てランチをごちそうになった。
ご馳走になるような立場ではないのだが、
ギャラリーのオーナーと知り合ったときには高校生で、
今になってもわたしはオミソなのかも。
ありがとう。オトナになってもわたしのオトナのその人たち。
帰りはバスに乗らずに飛ぶように帰宅。
展覧会はキュートで懐かしくてクール。
また別の項に書くとしよう。
ローソンのLoppiでオンラインの買い物の支払いをした。
こういうトランザクションは面白い。
実用として稼動しているのだが、稼動しながら実験している感じだ。
12日、青山まで展覧会を見に行きたかったのだが
あすの土曜日学校の準備が気になる。
ティーパーティーをしようということになっていて、
輪つなぎの飾りやらなにやら用意しようと思っている。
折り紙を切って輪つなぎを作りながら、クッキーを4クール焼いた。
いつもはバニラエッセンスで作るプレーンなクッキーの種で、
ココア入りのくるみクッキーと、
たっぷりのおろしショウガを入れたジンジャークッキー。
輪つなぎで凝る肩と腰を休めるようにオーブン仕事。
おいしいクッキーが焼けたので、コーヒーの缶に詰めた。
アマゾンでまた本が売れて発送。
展覧会はそろそろ最終日になるのでなんとか時間を作りたい。
年末だ。10月になると、店頭に翌年の手帳が並び始める。
9月に並び始めたときには「なぁに言ってるのよ」と気にも留めないが
10月も半ばを過ぎて平置きになり始めるとさすがに気になる。
来年使う手帳はおかぼれもん。の管理人picoさんとおそろい。
ネットで注文した赤いカバーの「ほぼ日手帳」だ。
「24時間働けますっ!」と気合入れて働いていた頃のわたしの相棒は、
長いこと黒いファイロファクスのバイブルサイズ。
1984年、渋谷西武店頭に並んだときに惚れ込んで買った。
わたしの手帳は売り場で売れた2冊目で、
一冊目は店長がご祝儀で買ったんだそうだ。
文具マニアに近かったので、手帳はいろいろ気になって見てきたが
オーバーフローする毎日に嫌気が差して、ある年タイムシステムを買った。
A5サイズで一日1ページの巨大な手帳。
それを使い始めて1ヶ月もたたない頃、
大好きで尊敬していたコピーライターに、
「なんだよ、とうとうそんなもの使わなきゃいけなくなっちゃったのか」
いかにも「気の毒」という風に言われたのだ。
その頃ハヤリのタイムシステムだったのだが、
その時素直に「そうだよなー」と思った。
突っ張ることは無い。
自分のペースできちんとやり切れることをやればいい。
シアワセに仕事できない自分じゃいけない。
手帳を買うたびにそのことを思い出す。
来年もいい一年を目指そうと思う。
一日はシステムじゃ割り切れない。
割り切らなくちゃいけない仕事は本当に必要なのかな。
そう改めて考えることになる。
ちょっと悲しいなと思っていることがある。
どうしていいかわからないとき、わたしは饒舌だ。
常から饒舌なのだという自覚はある。
どうしていいかわからないときくらい、黙っていてもいいはず。
でも、沈黙するのが不安だから、そんなときすら饒舌。
素直でない、まっすぐ自分の気持ちそのものではない言葉によって饒舌。
そのことはささやかに劣等感の元になっている。
8日、子供の喘息の薬を取りに行ったら、
インフルエンザのワクチンが払底したという。
今年もタイミングを逃したらしい。
買い手のついた本を郵便局から発送。
クリスマスプレゼントをネットで発注。
9日、昼前に高円寺まで自転車で。
高円寺ではいつも道に迷ってしまう。
方向を失って情けない思いで自転車でフラフラしてしまい、疲労。
10日、実母から頼まれていた買い物を宅配便で発送。
このところ自転車を良く使う。
自転車は気持ちがいい。もうちょっと乗りやすい道路環境になればいいのにと思う。
ブロッコリの芯を千切りにしてかき揚げを作ったら、
甘さがあっておいしかった。
ダンナ、毎日忙しく仕事している。思い切り機嫌が悪いが。
「捨てる!」というショッキングな言葉が流行になった時期がある。
一気にシンプルな生活を手に入れる。そういう方法もある。
ただ、頭がシンプルな生活を描けるようになると、
大掛かりに「捨てる!」と思わなくても、
ささいな物を買わなくなってくる。
手持ちのものをいかすのが上手になってくる。
次第に使い切るものが増え、いつのまにかだんだん身軽になる。
ゆっくり身軽になっていくというのも、成長のようでいいものだ。
「地球家族」という写真集がある。
以前に写真展を見たことがあり、それが忘れられない。
家の前に、家中のものを並べ、家族といっしょに写真を撮っている。
家財一式を並べているはずなのに、わずかに10点程度の国がある。
あふれんばかりの物が並ぶ国がある。
色彩を見ても、色とりどりのところもあれば、土の色、木の色のところもある。
たったそれだけの持ち物でも、人は笑って暮らせる。
笑えない現実を抱えている場合もあるだろうが、写真の中では笑っている。
日本の家族も笑っている。
大量の荷物の前で、普通の笑顔で笑っている。
普通の家族だ。その後、家を建て替えたらしい。
たくさんの物がある暮らしでも、
あれだけの物だけで暮らしている人たちと同じように
自分の物を大切にできるかな。
ひとつの鍋でも楽しい食卓は作れる。
もうひとつあるなら、倍楽しい食卓が作れるといい。
5倍の服を持つなら、5倍おしゃれができるといい。
お金がからまわりしませんように。
6日は、天気が悪く寒かった。ゆっくり起きてダラダラしているとすぐ昼。
昼から小学校の遊び場当番。
うーん、前日の夜中にメールがこなかったらしなかったのだが。
男の子が多くてめっきり疲れる。
子供が苦手だ。
日曜日は朝からスーパーのタイムサービスをのぞきに行った。
普段行かないスーパーなので、様子を見に行ったのだが、朝っぱらから盛況。
自転車で行ったので、牛乳とパンを買って帰宅。
米が無いのに気づいてあとから再びスーパー。なにやっているんだか。
洗濯物が乾きにくい季節になった。
太陽に照らされた洗濯物はいかにも乾きそうなのだが
気温が低くなってきた分だけ乾きにくい。
ダンナはきのうは午後からC-COM、
きょうは夕方からパブリックのバラシだそうだ。
わたしの住む家(部屋といった方がいいか)はとても小さい。
小さい家には、三人家族の生活がある。
料理を作り、食べ、本を読み、風呂に入り、お茶を飲みながら語りもする。
そうして普通に生活して、ささやかな毎日なのに、
きれいに住むことは思いのほか難しい。
買い物をすればゴミが出る。ハサミを使えばしまう。
料理をすれば油が飛ぶ、残り物が出れば片付ける。
なんだか毎日ゴミや汚れと戦い続けているような気がする。
郵便が来る、プリントが来る、一日病気になっただけで吹き溜まりができる。
買い物を片付けるのが後回しになれば床にも吹き溜まりができる。
あまり使わない場所をゆっくり見回すと、
棚の側板にホコリが固まっていたりする。
部屋が5つも6つもある家で主婦がひとり。
そんな家庭はざらにある。
しかも主婦が仕事を持っている場合もある。
きれいに住むのは難しいと痛感しているわたしとしては、
そういう人たちがどう暮らしているのか、心の底から知りたいと思う。
朝から曇ったり小雨になったりで、いかにも冬らしく寒い。
きょうは久々にダンナが休みで、疲れ果てているらしく良く眠る。
夕べ9:00に寝て、今朝は7:00起床。
今夜は9:30に寝てしまった。何時に起きるかな。
きょうは、同じ先生のよそのお稽古場にお茶をしにいった。
カルチャー教室の変則で小さな畳の和室とちがい、
広い畳で足の運びにすら迷う。行き着かない。
お客さんのように薄茶を立てるのだけ教えていただいて、きょうは満足。
ビルの3階に作った和室とこことでは、炉の深ささえ違う。
たまーに違うところへいくと、世界が広がるような気がする。
ただし、この稽古場は授業料が高いので、わたしには敷居が高い。
夕食はダンナが豪華ディナーを作り
(テレビの料理番組で作っていた料理を軒並み3つも作った)
食べすぎで疲労。
今夜は0時には寝るぞ!って、寝ることばかり考えている毎日。
きょうは、目覚めたときからもう眠かった。
ダンナはパークタワー仕込。ムスメは6時間授業。
わたしは新宿の病院へ行った。
帰宅して、すでに眠い。夕方、眠い。夕食、眠い。
夕食を食べているうちに、座ったままダンナが眠りかけた。
相当疲れているようだ。
世話して寝かせる。
ムスメの風呂の準備や寝床の準備をして、ダンナを移動。
ムスメの風呂上りを手伝ってやり、10時就寝。
それからこっち、ずっとキッチンの片付け。
眠い眠いでだーれも自分の後始末をしないので、
眠い眠いのわたしが片付ける。
あー、きょうはもうダメ。周期的にも眠い日なのだ。
きょうはかるーく風呂入ってもう寝る!
外出したときに、買うもののリストを持ってでかける。
ハンドクリーム、卵、マヨネーズ。
スーパーマーケットに立ち寄って、結局買わずに帰ってきてしまった。
そして、なんの問題も無く、食事を済ませてくつろいでいる。
買うのを、ちょっと先延ばしにしてみる。そのうち買うのかもしれないが、
もしかしたらとうとう買わないうちにいらなくなってしまうかもしれない。
贅沢なものを欲しくなったときには当然そうしていたけれど、
日用品ですらそうなのだと思って、ちょっと驚く。
驚くこと自体が、「もう堕落しちゃっている」のかもしれない。
小雨ぱらつく朝は冷える。
ムスメがチラシ原稿を学校に持っていくのを忘れ、
仕方ないので自分で届けに
自転車でかっとんで行った。
生協はあいかわらず時間が一定せずなんとなく不満。
ゆうべはユニクロの荷物が届いた。
書き物がとても多いので、きょうは割りとつぶれてしまった。
あすは病院の予定。
お茶の先輩から、金曜日は先生が休みだと連絡はいる。
違うお稽古場の先輩なのに、なにかと気にかけてくれる。
そんなこんなで地味に終わった一日。
Amazonでまた本が一冊売れた。
物が増えてくると、収納を増やしたくなる。
押入れの中にいろいろ棚を入れて収納量を増やすとか、
デッドスペースを利用するとか。
思い切ってやめてしまってはどうか。
物をひとつまたひとつと間引いていき、いつか家具ごと要らないようにしていく。
棚がひとつ不要になったら壁をきれいに掃除して、
そこには何も置かない。
棚が消えたときにはなんともガランとした感じになるかもしれないが
一ヶ月もするとまったく違和感が無くなり、広さが心地よくなる。
まずは見えるところから。
家具が減らせるまでにはずいぶんかかるかもしれないけれど
広くなった空間をめざして、今日もまたひとつ、不要のものを取り除こう。
きのうはいろいろやっているところへダンナ帰宅。
表情が暗い。疲れてるなぁ。
山のように洗濯物が出てくるが、雨ざんざん。
夕刻、ヨコオ氏来たる。
この人は以前「しばらく泊めて」で3ヶ月居たことがある。
2DKのアパートに。
夜宴会。久々に泊まる。
C-COMよりファックス来て、ダンナは2日間現場決定。
日曜日の夜にチラシの作業をして、
うっかり別保存しないで先月の原稿に上書きしてしまった。
大ショック。
きょうはピカピカの晴天で、シーツ洗いまくり。
洗濯機を3回回す。
それだけで半日かかってしまった。
きのうから、別サイトでお茶のことを書き始めた。
こことはまたちょっと違った感じになる予定。
ニフティでココログというサービスが始まった。
ログがダウンロードできるようなのでちょっといいかも。
きょうは、夕食のおかずがおいしくできなかったので不満。
味噌汁はかなり上等だったけれど。
引っ越すとしたら何を残し、何を持っていくかとよく考える。
残すというより手放すのだが。
引越し先に余計なものを持っていくのはもうたくさん。
実家から独立するとき、必要最小限のものを持って独立した。
実家の母に1ヵ月の猶予をもらい、
そのあいだに母が手元に置きたいものを移動してもらい、
自分も生活に支障ないかどうか確かめ、
そのあと残った自室のものはすべて処分した。
ああいう引越しが望ましいと思う。
片付ける時間が足りなくて、いる物もいらない物も梱包しての引越し。
それを考えると悲しくなる。
引っ越すときに処分するのなら、
引越しの予定の無い今処分して悪いわけがない。
引っ越すとしたら、引っ越すとしたらというのは、
わたしの大事な呪文のひとつだ。