2006年06月20日
今年も6月が終わろうとする
6月も20日を過ぎると毎年思い出す。
生き残った方が苦しかった。
妻は今も意識が戻らない。
誰もが彼を犯人だと思っていた。
それで命を失った人々の家族も
倒れた人々も
周囲の人も、警察も、おそらく知人の半分以上も、
おそらく友人の何人かも、もしかしたら親類でさえ。
面白半分に覗き込む人、
あんなことする人じゃないと思っていたのにと言う人、
そして、画面や紙面のあっち側から確信を持って犯人だと思った人々。
怒りもしたろう、絶望もしたろう。言い尽くせぬほどに。
そして、折れないと覚悟した人、憤らないと覚悟した人。
そして、人は信じない、自分しか信じないと決めたろう人。
自分で確かめた真実以外は、
いかに本当のように聞こえようとも嘘かもしれないと知り尽くした人。
6月が終わろうとする時期が来ると、
わたしにどれほどの覚悟があるかと毎年反省させられる。
去年、初めてその街を訪れました。
空が近く、山が近く。
城が残り、町は美しく。
人は少なく、控えめで。
地方都市の素晴らしさを絵に描いたような街でした。
家族はその事件をまったく意識していないようでした。
どこだろう?
そう気になる自分の野次馬根性が少し嫌になりました。
でも。
あの街に家族とともに足を運んで、
彼を想ったのはとても大切なことのような気がします。
お気に入りの喫茶店を見つけました。
また、いつか足を運ぼうと思います。
>コイッチさん
自戒のつぶやきのような文章にコメントありがとう。
そのことを忘れないで、
痛みをもって覚えている人がいるだけで
なんだかほっとするのです。
それが日本の良心のようで。
誰もが記憶しているあの夏…。
でも同時に誰もが忘れているあの夏…。
大切な事は同じ過ちを繰り返さないと…、彼を疑った全ての人たちが猛省する事なのでしょう。
私もまたその一人です…。
なにが間違っていたのか、どうすればいいのか。
今の子供たちにも考えてほしいなぁ。
お久しぶりです。
明日27日で、12年になるのですね。
彼の本を読んだとき、孤独と戦った人の言葉はどれもダイレクトに響き、彼の勇気と妻への愛に涙をとめることができませんでした。
自分も含め、日本中が忘れてはならない事件。
あの親玉の死刑で終わりにしてはいけないと思う。
※しかし、裁判、長くかかりすぎでは?
こーこさん、お久しぶり。
人生は、大変ですがそれでも楽しい。
本当に、時間がかかりすぎていて
その間に、ひとつずつの人生が、ひとりずつが年老いていく。
裁くなんてできるのかしらね。
それにはあまりに重たいできごとでした。