2004年05月21日

逆鱗

人によって、逆鱗は意外なところにある。
出産して仕事に復帰する予定だったわたしにとって
こどもが意外なことに体がかなり弱く旅仕事の多いダンナで
好むと好まざるとに関わらず「子供の命担当責任者」となった当時、
「ダンナさんの稼ぎで育児に専念できるシアワセな奥さん」という評価は
それ自体苦痛でしかなかった。
なぜなら非常に不安定な自由業のダンナよりわたしの方が
はるかに安定して家庭を維持できるにもかかわらず
「いない」という事実を考えればわたしが育児担当にならざるを得ず
両輪で維持するはずの家庭の基盤が崩れたことに罪悪感を持ち
まだ先があるはずだったキャリアが、中年に差し掛かった出産で先が見えず
今後二度と復帰できないかもしれないという不安があり
まだ社会で役に立つ自分でありたいと評価を求め、あがき、失敗し
しかも子供はアトピーやら喘息やらとバタバタ忙しく
体力気力精神力いずれも限界に近く
そういう状態で「どこがシアワセ」なのか・・・。
病気の子供は保育園は預かってくれない。
ベビーシッターを頼むには家計に不安がある。
専属育児担当者というのは
イノチの危機感のなくなった今だからいい経験だったといえるけど
なかなかプレッシャーのきついものだった。
しかも「ただでも年令が行っているんだから、次の子供を急がなくちゃね」
そんなことを気楽に言う人には
なんだか絶望的な気持ちになったものだ。
子供が成長して、喘息の発作が起きにくくなり、
起きたとしても太くなった気管(単に育って太くなった)や
強くなった腹筋(乳児に腹筋なんてほとんどない)のおかげで
すぐに死にそうにならない今だから
なにを言われてもびくともしないし
あの時代もそれなりにシアワセだったと思える。
その頃には気づかなかった思いやりにもいまさら気づく。
逆鱗は、意外なところに潜んでいる。
かわいい乳児を抱いて、子供に不安を与えまいとニコニコしていても
心の中には絶望が隠れていることもある。
その絶望のかけらを人の評価がかすったとき、
意外なほどに深く傷つく自分にあわてる。
「全力でお守りします」と言われてみたいものだ。
その人より強いわたしであっても。

投稿者 りりこ : 2004年05月21日 09:40 | トラックバック
コメント
コメントする









投稿にはお名前(ニックネーム可)とメールアドレスが必要です。
メールアドレスは管理人にしか通知されません。

名前、アドレスを登録しますか?