2004年08月31日
訃報(8/30)
嵐模様で変な天気。晴れたかと思えば曇る。
振ったかと思えばギラギラと太陽が出て道路が水蒸気で揺らぐ。
大きな台風が来ているから。
ダンナはきょう、午前中から大阪のはずだったが、3時くらいまでいたらしい。
一泊して、あすの夜には東京で一仕事終えてから帰るはず。
朝、電話があった。以前交流のあった女性が亡くなったという。
ダンナのつながりなので、彼の携帯電話に連絡があった。
電話を切って彼女が亡くなったそうだというダンナにいきなり
「自分で死んだの?」と聞くわたし。
それはないだろう、自分でも思う。
病死だった。
以前、心がつらい状態になって、自分で死のうとしたことのある人だった。
高校生のころ、知り合いの女性が死んだ。
うちを慕ってよく来ていた人だったので、呆然としてしまった。
彼女は自分で死のうとして、すんでのところで未遂に終わったことが何度かあり
その度に我が家はひそやかに騒然となった。
病院から帰って我が家に数日滞在したこともある。
家族と住んでいる自宅に帰すと、自分の部屋で死んでしまいそうだったから。
両親も彼女が好きだったし、わたしもまた好きだった。
たくさん語り合い、そのうち日常が戻り、恋をしたりおいしいものを食べたり
大人になってピアノを習ってベートーベンを弾いてくれたり。
それでも、結局彼女は自分から死んでしまった。
死は、心のどこかに住みついていたのだろう。
わたしはそのことを心に刻み込んだらしい。
「自分で死んだの?」なんてひどい言葉。
でも、これはわたしの心の防衛ライン。
「自分で死んだの?」
ぐさっと来る言葉。
しかし、故人の状況を端的に表しているかも。
少なくとも私はこう言われる死に方はしたくない。
そう言う事でそうであってもそのショックから自分を守りたい、
ってりりこさんは思っているのかしら、と勝手な解釈。
私も友達や先生が自ら命を絶った事があるので、なんとなく。
全部、夏だった。
夏になると必ず思い出して苦い思いをします。
もう誰にも自分で死んで欲しくない。
死にたいと思っている人は、いつか死に吸い寄せられてしまう。
それはわたしにはどうしようもないことだから、
自分で死ねてもしあわせ、自分で死なないですんだらもっとしあわせ。
そう自分に言い聞かせているところがあるね、くりかえし死のうとする人に対しては。
どっちでもいいんだと、自分に言い聞かせるから、
多分強い言葉になってしまうんだと思うよ。