2006年05月10日

注文の多い模型店

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中学生の頃、プラモデルを作るのにはまっていた。
毎日の買い物は麻布十番の方が多く、十番商店街の奥に「しみず」という店があって
駄菓子屋でありプラモデルもいっぱいあった。
商店街にはもっと大きな「こばやし」という玩具店もあり
こっちはもうちょっと値段の高いものを売っていた。
こちらは大人が子供に玩具を買ってやる店だ。
でも、模型といえば、六本木の「藤川模型店」だったのだ。
藤川模型店は、六本木の防衛庁の向かい辺りを斜めに入った場所にあった。
今でもこの道を見ると、藤川模型店を思い出す。

まず、店頭にやたらと張り紙が多い。
「自転車はこう置くな」「騒ぐな」「群れるな」といったようなことが書いてあったと思う。
店に入ると、やたらと触ってはいけない。
勝手に箱を開けてはいけない。
だいたいが、開けられないようになっていたのではないか。
店主に渡すと、中を見せてくれて「作れるかどうか」確認された覚えがある。
子供の作れないものは買わせてくれない。
店のドアノブは低いところにあって、子供でもあけることができる。
店は、学校が開いている平日朝から早い午後はあいていない。
今考えると、子供のためを思った店だったなぁ。

ここで初めて、ジオラマというものを見た。
店主の作ったものだったのだろうが、そこには風景があった。
崩れかけた建物の壁、塹壕、倒れた兵士や解放する兵士、飛び散った備品・・・
わたしはこの店で初めてプラモデルにオプションパーツがあることを知り、
これらの風景を作るための工夫を見た。
「塗装で汚す」ことも憶えた。
忘れられないのは、「スチレンボードに印刷された壁」だ。
薄いスチレンボードに、赤のインクでレンガ状の線が印刷されている。
強くこすると消えてしまうから気をつけなくてはならない。
ここにスケールをあてて、ボールペンなどでなぞっていくと、溝ができ、
プラカラーで塗装すると煉瓦の壁ができる。
崩したいところは強くなぞって指で崩す。
被弾して穴があいたところも簡単に作れる。
あれはすごかったなぁ。
プラモデルは工場で作られた製品だったけれど、工夫で表現の材料になることを知ったのだ。

もちろん、ここは大人の模型ファンのための店だったのだろうが
子供をわくわくさせてくれる店だった。
そして、店という公共の場所でのふるまいを教えてくれた店でもあった。

とっくの昔に店は無い。同じような注文の多い店に出会ったこともない。
店で物を触るときには「見せていただいていいですか」「広げていいですか」と言い、
買わずに出る時には「ありがとうございました」と言うのは
今でも癖になっている。

投稿者 りりこ : 2006年05月10日 09:14
コメント

写真はカメラ任せのオートで撮っているのだけど、
オートの焦点距離を把握していない模様・・・。
ぜんぶピントがはずれている。

Posted by: りりこ : 2006年05月10日 09:17

僕も中学生の頃ミリタリーもののプラモデルにどっぷりとはまっていました。
今から考えると、その頃、田宮の模型がちょっとしたブームだったんですね。
ジオラマもよくつくりました。

それはともかく、案なるお客様商売ではないそう言うお店って、そういえばあったんですよね。というか、まちばの小売店はどこもそういう感じだったと思います。
まちばの小売店が郊外型の大型店に取って代わられると同時に、大切な場所を僕らは失ってしまったのですね。

Posted by: fuRu : 2006年05月10日 09:59

こんにちわ、はじめまして。
以前からちょくちょく拝見させていただいてます。
僕の子供の時代もこういった模型屋がありました。
今も「模型屋」というカテゴリーが存在するのかすら危うくなってますよね。ましてや子供対象のとなると・・・。
あの頃ショーケースに並べてあったジオラマやスーパーカーなんかのイメージは、いまだに頭に残っていたりします。
子供にとっても平和な良い時代だったなぁ、と(笑)

Posted by: atmo : 2006年05月10日 10:30

りりこさま。
コメントありがとうございます。
なんでもありの戯言ブログですが、又
時々ごらんください。

             alpshima

Posted by: alpshima : 2006年05月10日 12:01

わぁ、少年ごころの男子がいっぱい。

>fuRuさん
やっぱり模型って、みんな嵌るんですよね。
たいていは男の子の趣味でしたけど
わたしは多分、ちっちゃいスケールのものが好きなんです。
だから、お雛様の道具なんかも大好き。
で、建築模型やVitraの椅子のミニチュアなんかも。

>atmoさん
ほんとに、模型屋さんが少なくなりました。
つい先ごろ、時々のぞいていた阿佐ヶ谷の店がなくなりました。
もっとも、最近は作り手はダンナですが。
写真のプラカラーもダンナの戦車用です。

>alpshimaさん
alpshimaさんのところでも好きなものをたくさん見つけましたよ。
また時々おじゃまさせていただきます。

Posted by: りりこ : 2006年05月10日 13:17

えー、りりこさんがプラモ好き???@_@
ちょっとびっくりしました。
僕もプラモデルよく作ってましたしたよ。
僕のブログにも同じようなプラモの思い出のエントリー書きたくなりました。

Posted by: コイッチ : 2006年05月10日 18:16

>コイッチさん
なんか変ですよね。わたし、
はまり込んで夢中になってそのうち飽きるタイプなのです。
不思議とブログはやめませんが。
コイッチさんの模型話もききたいな。

Posted by: りりこ : 2006年05月10日 22:04

はじめまして。いやあ、懐かしい!
私も当時あの近辺に住んでおりまして
小学校高学年頃から「藤川模型店」のファンでした。
りりこさんのおそらく2から3学年上なのかな。
あそこは私が知る限り一度建て替えをしました。
旧いお店は凄かった。あれはきっと押入れでしょうね。
薄暗い店内を(確かインターホンでOKを貰わないと入れなかった!)
恐る恐る入ると通路の左右にまさに押入れサイズの空間がいくつもあって
それぞれ上と下が別の世界のジオラマ。
各ブースに付いているボタンを押すと、いきなり空が赤くなって
B52?B29?の操縦席と翼端に灯りが点いてプロペラが回って
爆撃シーンが目の前に現れたり、
あるいは第二次大戦下のアフリカ戦線と思しき背景に
戦車が集結して給油しているといったシーンとか見れました。
時折リニューアルしてブースの景色が変わるので凄い楽しみでした。
「プラカラー」に秘密の粉末(多分龍角散だったと思う)を入れると
つや消し塗料になると教わり喜んだ記憶も。

ハラストア、ナニワヤはいまもありますね。
日曜日の早朝母親とサンモリッツの焼きたてのパンを自転車を2台連ねて
買いに行くのがとても楽しみだったのを憶えています。
私は当時釣りキチ自転車少年でもありまして
「小林玩具店」の右となりの「銀水」という釣具店にも良く通い
「浮き」を自作しては桧町公園や
弁慶橋へ出かけて釣り糸を垂れていました。
麻布界隈も当時は随分とローカル色が強かったなあ。
楽しいお話を有難うございました。

Posted by: はっつあん : 2006年10月19日 18:50

藤川模型店、ご存知の方があってうれしいです。
そうか、押入れだったのか!
そういえばそうですね。
あそこで初めてジオラマを知り、
おとなになってからある展示会をお手伝いした折にいろんなものを作りました。
スチレンボードの壁や塹壕、龍角散でツヤ消しにしたタンクとか。
なんでもムダにはならないものですね。

Posted by: りりこ : 2006年10月21日 12:38
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